■ファッション・クロニクル

 僕が4歳の頃、母や姉らと撮った写真だね。母親は三重の津で一番由緒ある呉服屋の娘で、和装関係の店を切り盛りしていたから、いいものを着よう、美しくありたいという意識がすごく強かった。普段は和服が多かったね。僕の服は全部オーダーメード。セーターや半ズボンも、採寸してつくってもらっていた。

 商売の全盛期には、お店は番頭さんらでとてもにぎやかだった。お見立て用の反物を持った番頭さんが、池を見下ろす渡り廊下を行ったり来たりして活気があったね。

 お店はガラス張りだから、中からウインドー越しに商店街の交差点がよく見える。母親は面白い人で、商品の草履をすげたりしながら、一生懸命ファッションチェックするわけ。ある奥さんが通ると「あの大島紬(つむぎ)の色合いはさすがだ。あれだけの西陣の帯を着こなせるとは、品格が違う」。別の奥さんが通ると「べっぴんさんだけど帯の合わせ方がいけてない。色の合わせ方が品がない」とかね。店員さんも「そうですねえ、奥様」と。

 僕はまだ小学1年生くらいで「なんのこっちゃい」だったけど、観察が好きだったから、通るたび必死で見たもんだよ。「これが上品、これが下品というものか」って。配色など、後々「なるほど」とわかってくるようになったね。

 母親自身も、見られている意識が強かったし、息子をよく見せたいという思いも人一倍だったね。

 学校の先生が夏休みに来る家庭訪問の日が決まると、2階の8畳間の和室に大工さんらが出入りして、あれよあれよという間に洋室にしたくらいだから。モダンな棚やら、ソファセット、ピアノ、オーディオセットまでそろえてさ。驚いたよ。学芸会ではいつも主役。「やっぱり僕は特別なんだ」って思っていた。でも、実は母親が先生へ付け届けを一生懸命していたんだよね。

 戦後の時代、みえを張って人より立派になろうと一生懸命になるのは、生きていく原動力だったんだろうね。すごくエネルギッシュな人だよね。(構成・山本桐栄)

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 1950年生まれ。ファッションブランドを数多く手掛け、最近では辛口ファッション評論で人気。「ドン小西のファッション哲学講義ノート」(にんげん出版)を2月20日に発売