■ファッション・クロニクル

 私が23歳、母が44歳の時の写真です。母のワンピースは私がプレゼントしたものです。苦労を重ねた母に「これからは自由に、自分のために人生を楽しんでほしい」との思いを込め、明るい色を選びました。

 母はけっこうな「ずぼら」。食器の汚れが落ちていなかったり、洗濯物をため込んだりはしょっちゅう。何を食べても笑いながら「おいしいね」と言い、ちょっと入院したら病室の人とすぐ仲良くなるような人。いつも子どもの話をきちんと聞いて、短所より長所を見てくれていました。

 明るく振る舞っていた母ですが、決して幸せを絵に描いたような家庭ではありませんでした。1歳下の弟は、8歳の時に川でおぼれて亡くなりました。父は、私が小学6年生の時に追突事故に遭い、重い後遺症が残りました。闘病の末、最後は自ら命を絶ちました。

 当時高校2年生の私は父親が大好きでしたし、ものすごくショックでした。それは母も同じだったと思います。父や弟が好きだったおかずが食卓に上ると、思い出を振り返って一緒に泣いたこともあります。

 人生の理不尽さに絶望していた私を、母はある日突然「ドライブに行こう!」と、少し離れた親戚の家へ連れ出しました。夜遅かったし、お邪魔したのは1時間ほど。お茶を飲んですぐに帰りました。何か言葉を掛けられたわけでもなく、ただそれだけのことだったのに、私のうつうつとしていた気持ちは消えていました。追い詰められていた当時の私を救おうと、母は直感的に動いたのでしょう。私はこの一件で、子どもが本当に大変な時に助けてあげられるのは親なのだと悟りました。

 私は福島県の実家を出て、東京の短大に進学し、卒業後保育士に。しばらくは仕事に慣れるのに必死でした。

 ワンピースを贈ったのは社会人3年目、やっと少し余裕を持てるようになった頃です。東京では母と同世代くらいの人がおしゃれな格好で街を歩いていた。私は「母にも『大人の女性』に合ったものを贈りたい」と思い、奮発して買いました。その後少しして、母は再婚したんです。

 今でも、誕生日や母の日などの節目ごとに洋服を贈っています。(構成・中村瞬)

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いげた・ようこ 東京家政大学ナースリールーム主任保育士。1955年生まれ。保育士歴38年。子育てに関する執筆・講演活動のほか、「すくすく子育て」(Eテレ)などテレビ出演も多数。著書に「ありのまま子育て」。男女2人の母。