マンスリーコラム
■妻はサバイバー:6(マンスリーコラム) 半分も残した五目焼きそばの皿を、目の前で後輩記者が心配そうに見つめている。ふだんの私はめったに食事を残さないのに、もう胃が受けつけない。 2014年8月末、同僚とランチを食べた中華料理店で、私は自分の変調を悟った。 1~2週間前か…[続きを読む]
■もうすぐ父が死んでしまうので:6(マンスリーコラム) 「あれっ? お義父さん、どうしたんだろう」 静かに寝ていた父がいきなり険しい顔で両手を動かし始めたのに気づいた夫(47)が、ベッドに駆け寄り、その手を握った。私(49)と母(83)は言い争いを中断し、覆いかぶさるように…[続きを読む]
■妻はサバイバー:5(マンスリーコラム) 夏の日が差し込む部屋で、新たな療法が始まった。 テーブルをはさんで、妻と臨床心理士の女性が向き合う。 「今、どんな気持ちですか」と聞かれ、妻は「帰りたい」。消え入るような声で、下を向いたままつぶやいた。 2013年7月、こんな会…[続きを読む]
■もうすぐ父が死んでしまうので:5(マンスリーコラム) 「お父さんも若いころは、やっぱ『飲む・打つ・買う』みたいな感じだったすか?」 私の大学時代、お金がなくて実家へよく夕飯を食べに来た男友だち(48)が、病床の父に質問した。2人の再会は二十数年ぶり。場を盛り上げるためなら…[続きを読む]
■妻はサバイバー:4(マンスリーコラム) 午前6時過ぎ、インターホンの音で眠りから覚めた。 「奥さまが倒れていたものですから……」。玄関を開けると、見知らぬ男性が、泥酔した妻に肩を貸している。私は丁重に礼を述べながら、心の中で「またか」とつぶやいた。5年ほど前のことだ。 …[続きを読む]
■もうすぐ父が死んでしまうので:4(マンスリーコラム) 「はい! 今日のお父さん。笑って」 父にそう呼びかけてスマホで撮り始めたのは、ちょうど1年前の今ごろからだ。差し入れたプリンを食べる、寝たままテレビで巨人戦のナイター中継を見る、パリから戻った妹(40)と私に挟まれて苦…[続きを読む]
■妻はサバイバー:3(マンスリーコラム) 妻の介護を始めてから、周りの風景が以前とは違って見えるようになった。 大阪・中之島にある朝日新聞大阪本社は北に堂島川、南に土佐堀川という二つの河川にはさまれている。私が赴任した2000年代半ば、川沿いには数多くの野宿生活者が暮らして…[続きを読む]
■もうすぐ父が死んでしまうので:3(マンスリーコラム) 「お義父さん、このノドグロ、びっくりするほど安かったんですよ。まさかの480円!」 さっきまで実家の台所で料理していた夫(46)が、小ぶりな焼き魚を父(当時81)に差し出し、得意顔で言った。 私はあきれて絶句した。 …[続きを読む]
■妻はサバイバー:2(マンスリーコラム) それは、人の心が壊れていく過程を見せられるようだった。 私が帰宅すると、妻はデスクライトだけをともした暗い部屋にいた。 目に涙を浮かべ、「衝動的に自殺しそうで怖いから、預かってほしい」。そう言って、手にしたカッターナイフを差し出し…[続きを読む]
■もうすぐ父が死んでしまうので:2(マンスリーコラム) 「えっ?」 久しぶりに実家の2階に上がって、私は仰天した。 何げなくのぞいた父の和室に、数え切れないほどのコンビニ袋が散らばっている。どの袋にも読み終わった夕刊紙や週刊誌が2、3部ずつ押し込まれ、畳を覆っていた。その…[続きを読む]
■妻はサバイバー:1(マンスリーコラム) 妻に何が起きているのか、はじめは理解できなかった。 大量の食べ物を胃に詰め込む。すべてトイレで吐く。昼となく夜となく、それを繰り返す。彼女が心身に変調をきたしたのは結婚4年目、2002年の秋。当時29歳だった。 休日の朝、私の運転…[続きを読む]
■もうすぐ父が死んでしまうので:1(マンスリーコラム) スーーッ…………、スーーッ…………。 だんだん呼吸の間隔が長くなっていく父のベッドサイドで、いとこ(50)が懐かしい話を始めた。 幼いころ、毎年夏になると、父が勤める信用金庫の保養所があった千葉県の海で、よく遊んだこ…[続きを読む]
■「恍惚(こうこつ)の人」から「希望の人びと」へ:6(マンスリーコラム) このコラムも今回が最終回。ぜひ、紹介したい人がいる。 太田正博さんに初めて会った日のことを、私は今も鮮明に覚えている。2005年9月3日、京都駅前のホールで開かれた講演会でのことだった。 「私、バリ…[続きを読む]
■両親の介護と仕事と認知症:6(マンスリーコラム) 英国の南西部、デボン州のプリマス市は、英国内でいち早く認知症フレンドリー・コミュニティーの思想を取り入れて成功した街だ。日本からも自治体や福祉関係者、認知症の研究者らが相次いで視察に訪れている。その功労者がプリマス大認知症パ…[続きを読む]
■「恍惚(こうこつ)の人」から「希望の人びと」へ:5(マンスリーコラム) 「認知症になってからも、希望と尊厳をもって暮らしたい。すべての人が生き生きと暮らせるような社会を、いっしょにつくり出していきたい」 こう願って3年前に発足した「日本認知症ワーキンググループ」(JDWG…[続きを読む]
■介護と医療の足元で:6(マンスリーコラム) 家に入るなり、焦げたにおいに母が気づいた。キッチンの鍋のふたを開けるとおしるこが焦げていた。 「どうしたの?」「火をつけている間、見ていなかったの?」「高い鍋なのに……」 矢継ぎ早に問いかける母に、一人で留守番をしていた父は黙…[続きを読む]
■両親の介護と仕事と認知症:5(マンスリーコラム) 朝日新聞厚生文化事業団に異動したのは2014年4月。社会福祉は全くの素人だったが、大阪事務所が高齢者を対象とした講演会などの企画を担っていたのは幸いだった。長年、両親の介護を経験してきた私にとって、全く無縁の世界ではなかった…[続きを読む]
■「恍惚(こうこつ)の人」から「希望の人びと」へ:4(マンスリーコラム) 認知症と診断されたとき、本人の意思はどこまで生かされるのか。本人の思いの対極にあるものは何だろうか。 忘れられない夜がある。 10年以上前の冬、首都圏にあるグループホームに泊まらせてもらった。玄関を…[続きを読む]
■介護と医療の足元で:5(マンスリーコラム) 最近、80代前半の父と70代後半の母が暮らす埼玉県の実家に、電話アンケートが立て続けにかかってきた。 一つは9月上旬、自動音声によるアンケートで、「いま総選挙があったら、A候補とB候補のどちらに投票するか」というものだった。解散…[続きを読む]
■両親の介護と仕事と認知症:4(マンスリーコラム) 父が認知症と診断されて数年が過ぎた2010年ごろ、母を説得して認知症の診断を受けさせることにした。 当時の母は、もの忘れが目立つようにはなっていたが、特に生活に支障が出ているわけではなかった。毎日、炊事や洗濯もちゃんとこな…[続きを読む]
■「恍惚(こうこつ)の人」から「希望の人びと」へ:3(マンスリーコラム) 認知症の本人たちによる「当事者発信」というと、若年性認知症の人の話だと思う人が多いのではないだろうか? 実は、違う。今から10年以上前、認知症を「痴呆(ちほう)」と呼んでいた時代に、「発信」の扉を開い…[続きを読む]
■介護と医療の足元で:4(マンスリーコラム) 父が、実家のリビングで母と私にこう言った。 「あと1年持つかな……。たぶん、死んじゃっているよ。とにかく歩くのが容易じゃない。このごろ、トイレに行くのもおっくうになって……」 私が、この「マンスリーコラム」の執筆もあって、実家…[続きを読む]
■両親の介護と仕事と認知症:3(マンスリーコラム) 母は1927年生まれで、もうすぐ90歳になる。今年1月、約3年間暮らした徳島県の有料老人ホームから、自宅に近い兵庫県西宮市内の特別養護老人ホームに移った。 私は7年ほど前から毎年、西宮市内の特養4~5カ所に、父と母2人分の…[続きを読む]
■「恍惚(こうこつ)の人」から「希望の人びと」へ:2(マンスリーコラム) 今年7月、丹野智文さん(43)が、東京経済大学で特別講義をした。39歳で認知症と診断されて4年。全国を飛び回り、100回以上講演しているが、大学で話すのは初めてだ。 テーマは「若年性認知症当事者として…[続きを読む]
■介護と医療の足元で:3(マンスリーコラム) 「介護保険サービスを上手に使おう……」とか、「あなたなら、介護保険サービスをこれだけ使える……」といった言葉を聞くことがある。介護保険に精通した人や、仕事で介護にかかわる人たちからだ。 さらにこの上をいくのが、自己負担で介護保険…[続きを読む]
■両親の介護と仕事と認知症:2(マンスリーコラム) いざ、父を認知症専門の病院に連れて行こうと思っても、どうやって病院を探せばいいのか、さっぱりわからない。 インターネットで検索したが、2007年ごろに認知症の診療を掲げている病院は少なかったように思う。そんな中、神戸大学医…[続きを読む]
■「恍惚(こうこつ)の人」から「希望の人びと」へ:1(マンスリーコラム) 「認知症」「アルツハイマー」。この言葉を聞いて、あなたはどんなことを思いますか? 今年4月、国際アルツハイマー病協会国際会議(認知症の国際会議)が京都市で開かれ、65カ国・地域から4千人以上、認知症の…[続きを読む]
■介護と医療の足元で:2(マンスリーコラム) 「年明けからお父さんの腫瘍(しゅよう)マーカーが上がっているの」 こんな言葉を、今春、母から聞いた。父は、肺がんの手術をした専門病院へ定期的に検査で通っていたが、正常だとほとんど検出されない、がんと関連がある特定のたんぱく質の血…[続きを読む]
■両親の介護と仕事と認知症:1(マンスリーコラム) 2015年6月、父は脳梗塞(こうそく)のため95歳で亡くなった。徳島市内の有料老人施設に母と一緒に入所し、要介護2だった。介添えがあれば何とか歩くこともできたし、食事も自分で食べることができた。 母はその後も徳島の施設に残…[続きを読む]
■介護と医療の足元で:1(マンスリーコラム) 「町内会やめていいかな?」 埼玉県内に暮らす母親から、今春こんなことを言われた。実家では、脳梗塞(こうそく)による後遺症に加えて肺がんを患う80歳近い父親を、70代後半の母親が支えている。私は東京都内で家族と暮らし、2週間に1回…[続きを読む]
■老いる巨龍――事件で見る中国の少子高齢化:6(マンスリーコラム) 私が初めて中国を訪れたのは1980年代末。大学生だった私は神戸から「鑑真号」というフェリーに乗り、2泊3日で上海に到着した。 当時の上海は、まだ古い街並みが多く残っていた。通りには、租界時代に建てられた西洋…[続きを読む]
■老いの現場を歩く:6(マンスリーコラム) このコラムも最終回。朝日新聞神奈川版「迫る2025ショック」での取材をもとに、2025年問題の実態や先進的な取り組みを伝えてきた。最後に、「支え手」である現役世代が縮小する中、高齢になっても元気な「アクティブシニア」と、中高生や大学…[続きを読む]
■認知症の母を見つめて:6(マンスリーコラム) 2012年8月、母(当時73)が窒息で意識不明になった。1カ月以上たち、「低酸素脳症による遷延性意識障害。回復の見込みなし」と医師から診断された。いわゆる「植物状態」だ。「植物」という言葉は、自分自身も傷つくので使いたくはないが…[続きを読む]
■老いる巨龍――事件で見る中国の少子高齢化:5(マンスリーコラム) 息子が年老いた両親に頼んで、息子自身を被告として相手取った裁判を起こしてもらう――。 そんな一風変わった訴訟があったと、今年1月下旬の春節(旧正月)直前、中国司法省系列紙の「法制日報」で報じられた。息子が奇…[続きを読む]
■老いの現場を歩く:5(マンスリーコラム) 医師や看護師ら専門職だけでなく、住民主体で「2025年問題」に立ち向かう地域が、埼玉県北東部にある。幸手市と杉戸町だ。「幸手モデル」と呼ばれ、全国から注目されている。 その幸手市のビジネスホテルで、3月5日に高齢者向けイベント「し…[続きを読む]
■認知症の母を見つめて:5(マンスリーコラム) 2012年8月、私の母(当時73)は横浜のグループホームで突然倒れ、救急車で運ばれた。原因は、吐いた食べ物を気管につまらせたことによる窒息。家族が慌てて病院のICUに駆けつけると、ベッドに横たわり、口には人工呼吸器、体にはいろん…[続きを読む]
自らの介護体験や、高齢化社会に思うこと、ニュース解説など、朝日新聞社員や関係者が月1回ずつ連載する「マンスリーコラム」。昨年12月に第1弾が始まって以来、読者のみなさんから多くの感想がメールで寄せられました。 「認知症の母を見つめて」は、前頭側頭型認知症と診断された母親を介…[続きを読む]
■老いる巨龍――事件で見る中国の少子高齢化:4(マンスリーコラム) 「年老いて、連れあいが欲しかっただけなのに、子どもたちに反対される。私は残りの人生を孤独に過ごすしかないのでしょうか」 こう訴えるのは、子どもたちに反対されて再婚を諦めたという60代の女性、呉さんだ。中国西…[続きを読む]
■老いの現場を歩く(マンスリーコラム):4 前回のコラムでは、口から食べられなくなった人たちが胃ろうをつけるかどうか悩む話を紹介した。今回のコラムでは、「最期まで口から食べてもらう」ための取り組みを二つ取り上げたい。 昨年12月初旬の金曜夜。東京都府中市の「昭和の雰囲気」漂…[続きを読む]
■認知症の母を見つめて:4(マンスリーコラム) 前頭側頭型認知症の母がグループホームに入居して、5年が経った。前頭側頭型は、アルツハイマー型と違い進行を遅らせる薬がない。症状は少しずつ悪化し、くしの歯が欠けるように「できないこと」が増えていった。 手書きの文字が下手になった…[続きを読む]
■老いる巨龍――事件で見る中国の少子高齢化:3(マンスリーコラム) 中国南部、広東省広州市にある裁判所、同市中級人民法院。昨年5月、お年寄りの自宅で住み込みで世話をしていた元家政婦の女、何天帯被告(46)に死刑判決が下され、即日執行された。 何被告は、世話をしていた8人のお…[続きを読む]
■老いの現場を歩く:3(マンスリーコラム) 神奈川版の連載「迫る2025ショック」の取材で最も考えさせられたのが、口から食べられなくなった患者の家族が、胃ろうをつけるかどうか悩んだプロセスを描いた「胃ろうの選択」(2014年9月掲載)だった。取材しながら、常に「自分自身なら……[続きを読む]
■認知症の母を見つめて:3(マンスリーコラム) 今から10年前、「前頭側頭型認知症」と診断され、要介護2の認定を受けた私の母は、2007年5月、横浜のグループホームに入居することになった。当時67歳。入居する前夜、同居していた妹には「行きたくない。ここに置いてほしい」と懇願し…[続きを読む]
■老いる巨龍――事件で見る中国の少子高齢化:2(マンスリーコラム) 「ぼくのお父さんとお母さんは2人目の子はいらない。もう小さな息子がいるからだ――携帯電話」 昨夏、江蘇省で開催された子どもの詩のコンクールで一等賞を獲得した、同省常州市に住む小学6年生、費東(フェイトン)君…[続きを読む]
■老いの現場を歩く:2(マンスリーコラム) 「自宅で穏やかな最期を迎えたい」。そんな願いをもつ人たちは多いのではないか。だが今の日本では、自宅や介護施設で安らかに亡くなる「平穏な在宅死」は、実は当たり前のことではないのだ。 2013年の秋、神奈川県内の病院の救命救急センター…[続きを読む]
■認知症の母を見つめて:2(マンスリーコラム) 今から10年前の冬、私の母(当時66歳)に「前頭側頭型認知症」という聞きなれない病名が告げられた。記憶は保たれるが、思考や判断、感情をつかさどる脳の部分が萎縮するため、母は別人のようになってしまった。表情豊かだった顔は能面のよう…[続きを読む]
■老いる巨龍――事件で見る中国の少子高齢化:1(マンスリーコラム) 「尋人:段連堂老人、90歳、今日の昼1時に大王荘積善里で行方不明になりました…」 「網友(ネット仲間)たちの助け求む:趙宗銀、女、83歳、宜賓永興の方言があり…」 「緊急尋人! 昨日午後4時過ぎ、方荘橋で…[続きを読む]
■老いの現場を歩く:1(マンスリーコラム) みなさん、「2025年問題」って、聞いたことありますか? 「2020年東京五輪なら知っているけど、2025年問題はわからない……」という方が多いかもしれない。 一言で言うと、約650万人いる団塊世代(1947年~49年生まれ)が…[続きを読む]
自らの介護体験や、高齢化社会に思うこと、ニュース解説など、朝日新聞社員や関係者が月1回ずつ連載する「マンスリーコラム」を始めます。初回は、40代の女性社員が母親の介護に直面した10年間を振り返ります。 ■認知症の母を見つめて:1(マンスリーコラム) 「お姉ちゃんどうしよう。…[続きを読む]
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