【笹円香】海沿いの土地は、真っ白な雪をかぶり、所々に土台だけを残して家の跡が浮かんでいた。その風景は1年前に訪れた時と変わらなかった。岩手県野田村。まもなく2年を迎えるあの日、巨大津波が村民37人の命と502棟の家屋を奪った。
だが、村役場近くの仮設店舗の建物に近づくと、1年前にはなかった紺ののれんが目に飛び込んできた。波の絵に白抜きで「十府ケ浦 海鮮ラーメン」。山口悟さん(47)が無事、店を再開させたのだ。
「お久しぶりです。お店、順調ですか」
「ぼちぼち、といったところですかね」
出迎えてくれた山口さんは、少し照れたように話した。「今年はワカメも順調だというし、ホタテも春先からは少しは回してもらえるらしいです。なんとかやっていけるかな、と思えるようになりました」
震災前、山口さんが営む「十府ケ浦食堂」は、美しい海岸線が続く国道沿いにあった。海鮮ラーメンをはじめ、地元で採れた新鮮な海の幸を使ったメニューが人気だった。しかし、東日本大震災の津波で両親から受け継いだ店は流された。家族は全員、無事避難したものの、引き渡し寸前の新居も失った。
昨年2月、仮設住宅で山口さんに話を聞いた時は、1カ月ほど先の開店準備の真っ最中だった。当時、将来への不安や避難生活のストレスで疲れた表情だったが、自慢の海鮮ラーメンの話になると少しほころんだ。「地元産の生のホタテのダシが出るから甘みも香りも違う。遠方から毎年楽しみに来てくれる常連さんもいたんです」
だが、心配は無用だった。店の再開後、震災前からの客が大勢来てくれた。昨年4月には1組の若い夫婦が来店。「お店、再開したと聞いて盛岡から来ました」。隣村の妻の実家を行き来するたびに朝昼2食に訪れる年配の夫婦や、道の駅などで再開を聞きつけてやってくる人も。
海の見える国道沿いから、約2キロ離れた村の中心部に移ったことで、昼食や晩酌に訪れる地元客も増えた。約50席という広さも重宝され、昼食時は毎日ほぼ満席、夜も親戚が集まっての食事や飲み会で埋まる。「思い描いていた以上にお客さんが来てくれて、ほっとしたと同時に戸惑うほど。食器もすぐ足りなくなって、買い足してを繰り返した。1日12時間働いて、仮設住宅には寝に帰るだけ。狭さも気にならなかった」と笑う。
この1年で村には飲食店が3店舗ほど営業を再開し、真っ暗だった村中心部の夜に明かりが戻ってきた。通常午後9時までの営業だが、客がいる時は12時までは店を開けることにしている。「酔っぱらってほおを赤くしてしゃべっているお客さんを見るとうれしくて。あぁ、以前のように笑えるようになったんだなと実感するんです」
記者も復活した海鮮ラーメンを注文した。澄んだスープに細いちぢれ麺。ムール貝やタコ、イカ、ワカメなどの地元で採れた海の幸が並ぶ。スープをすすると、甘みとコクを感じる優しい塩味。磯の香りが鼻に抜け、この日車窓から見た透き通った海が浮かんだ。
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東日本大震災から1年を迎えた昨年、被災者1千人のメッセージを「いま伝えたい 千人の声」として掲載しました。今年も、引き続き取材に応じていただいた被災者のメッセージを紙面やデジタル版に掲載する予定です。掲載に先立ち、記者の声をツイッター(https://twitter.com/Asahi_Shakai)で随時お伝えしています。
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朝日新聞社会部