島根県は1日、竹島を初めて記したとみられる江戸時代中期の日本地図2点を新たに確認したと発表した。これまで初記載とされていた「改正日本輿地路程全図(かいせいにほんよちろていぜんず)」(1779年刊行)の10年以上前に作製されたとみられる。県の設置する竹島問題研究会は「1760年代から、竹島を明確に日本領と認識していたことがわかる」としている。
竹島特集ページ2点は、「日本図」(1760年代)と、「改製日本扶桑分里図(かいせいにほんふそうぶんりず)」(1768年)。いずれも、水戸藩の地理学者で、「路程全図」を作った長久保赤水(ながくぼせきすい)の自筆で、隠岐諸島の北西に「松島」(現在の竹島)が記されている。日本図は下書きで、分里図はほぼ路程全図と同じ。赤水の子孫らが茨城県高萩市教育委員会に寄託した書簡や地図など370点を、竹島問題研究会が6月下旬に調査した。
分里図では、図上に明和5(1768)年と製作年を明記。また、竹島の存在を記した松江藩士による隠岐国の地誌(1667年)をもとに、赤水が竹島の位置を北西に書き直した跡まで確認できるという。