現在位置:
  1. 朝日新聞デジタル
  2. 記事
2013年2月6日20時00分
このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック

マンデラ氏の旧家で言葉の支配を思う @ヨハネスブルク

写真:ソウェトを眺める=いずれも3日、ヨハネスブルク、江木慎吾撮影拡大ソウェトを眺める=いずれも3日、ヨハネスブルク、江木慎吾撮影

写真:ネルソン・マンデラ氏がかつて住んだ家拡大ネルソン・マンデラ氏がかつて住んだ家

写真:マンデラ氏の手紙のコピー。きちょうめんな字だ拡大マンデラ氏の手紙のコピー。きちょうめんな字だ

 日曜日にできることを思いつかなかったので、3日は少しゆっくりすることにした。4日には次の訪問地のボツワナに移動する。ただゆっくりしても何もならないので、少し観光気分だけど、ソウェトを訪れることにした。

 かつての黒人居住区で、1976年に起きたソウェト蜂起は、アパルトヘイト(人種隔離)政策の終わりの始まりを告げたと言われる。

 ヨハネスブルクの中心部からは40キロほど南西に位置する。「South West Townships」のそれぞれ頭の2文字ずつをとってソウェトと呼ばれるようになった。いまは人口が100万を超えると言われ、ヨハネスブルク市の一地区というより、都市の趣がある。

 市の中心部との間には、高速バスシステムが09年に導入された。道路の真ん中が専用レーンになっていて、所々に駅のプラットホームのような乗降場がある。

 貧しい掘っ立て小屋が並ぶかつての面影はなく、多くの家はアフリカのほかの国にいけば立派な構えと言えそうだ。もちろん、掘っ立て小屋がなくなったわけではなく、一部の地域には残っている。

 街中にネルソン・マンデラ氏(94)が投獄される前に住んだ家がある。今は博物館になっている。普通の家が並ぶなかで、そこにだけ観光客が集まっている。道ばたで土産物を売っている人たちがいる。

 ナイロビ支局に勤務した2000年ごろ、マンデラ氏はブルンジの内戦終結に向けた調停役をしていた。

 27年間の牢獄生活の末に90年に釈放され、93年にはノーベル平和賞、94年からは南アフリカ大統領となった。99年に任期を満了して引退したものの、世界でもっともカリスマ性のある人物と言われていた。

 ブルンジの内戦を終わらせるため、マンデラ氏がブルンジ国会で政治指導者の協力を訴えて演説したことがあった。あのマンデラ氏が来て語りかければ、何かが変わるに違いない。そう期待する空気があった。

 議事堂で聞いて、衝撃を受けた。マンデラ氏の懸命の訴えは、ブルンジの政治家たちに全く届いていなかった。議場の後ろの方では嘲笑が起きていた。

 長老に対する尊敬を失わないアフリカにあって、そしてマンデラ氏にして、戦争に突き進む人間の深い業を和らげることができない。考えてみれば、野球の試合の結果をめぐって子どもがけんかをしているときに長嶋茂雄さんが通りかかって、みんなけんかを忘れるのとは訳が違う。

 マンデラ氏はロベン島の牢獄から釈放された後、このソウェトの家に11日だけ住んだ。そんな家の、銃撃を受けた跡を眺めながら、ブルンジ内戦のころに見たマンデラ氏を思い出した。いま、南アフリカの紙幣に肖像が載り、肺炎を起こせば世界中が心配する1人の人物の来し方を思った。

 マンデラ氏が投獄されている間に起きたソウェト蜂起の直接のきっかけは、アパルトヘイトを推し進める白人政権が、この国の白人の言葉だったアフリカーンス語を黒人の学校にも押しつけようとしたことだった。

 高校生らが大規模なデモ行進を企画し、これに警察官らが発砲、少年らに多数の死者が出て、暴動が広がった。南アフリカの国際的孤立はますます深まり、歴史に汚点を残したアパルトヘイトは次第に追い込まれていく。

 言葉が抑圧の道具として使われる。それは、アフリカ大陸に根付いた、かつての宗主国であるヨーロッパ諸国の言葉を思えば明らかだ。そして、多くのアフリカの国々が、その支配から完全には抜け切れていないように思える。

 遠い話ではない。日本がかつて、朝鮮半島でしたことも同じ文脈にあるのだろう。そして、こうしてアフリカで取材する自分が現地の言葉ではなく、支配者の言葉でしか人と接することができないことに、矛盾を感じる。

 息抜きのはずが、暗い気持ちになる。鉱山から掘り出した土が、平らな山になってソウェトを見下ろしている。暑く乾いた風が、そよぐほどに吹いている。

     ◇

■2000年にマンデラ氏について書いた記事です。

〈マンデラコール(記者ノート)〉 

 しゃがれた声が、司会をさえぎった。「そんなあいさつを聞いている時間はない。私は囚人たちに会いに来たのだ」。ブルンジ中央刑務所の中庭のテントに集められた囚人代表約100人から、拍手がわいた。

 声の主はネルソン・マンデラ前南アフリカ大統領。内戦状態に疲れたアフリカの小国を6月中旬、和平調停役として訪れた。多くの政治犯が収容された刑務所を最初の訪問先に選んだ。

 「政治犯はすべて釈放され、この国の和平交渉に参加しなければならない」「今日は何を食べた」「刑務所の中を見せてくれ」。次々と質問、注文するマンデラ氏に、刑務所側はたじたじだ。刑務所内に響くマンデラコールに包まれ、鉄格子越しに手があちこちから伸びるのを見ながら、鳥肌が立ってきた。自身が四半世紀以上を過ごした塀の中の世界のこととはいえ、これほど率直に語り、行動できる政治家はいるだろうか。しかし、そんな思いもつかの間、輝きを放つ姿の影を翌日、見ることになった。

 国会で同氏が演説したときだ。「ブヨヤ大統領はここにいるみんなより、国のことを深く考えている」の言葉に、議場がざわついた。「真剣に国のことを考えてほしい」という呼びかけだったが、後方に座る議員の失笑を買った。虐殺と強制的な住み分けによるフツ、ツチ両民族間の憎悪の増幅、経済の破綻(はたん)、政治の腐敗。1996年にクーデターで政権を掌握したブヨヤ大統領の責任を問う声は強まるばかりで、人望は地に落ちている。

 対話を重視するマンデラ氏は、タンザニアのアルーシャで開かれているブルンジの和平交渉で、19の政党や団体を巻き込んだ一大対話を試みている。同氏がブヨヤ大統領を支えようとするのは、国内のまとめ役として大統領以外に交渉相手を見いだせないからだ。

 マンデラコールと、失笑と。その落差に戸惑いながら、この差を埋めるのはマンデラ氏の政治手腕よりむしろ、和平に向かうブルンジの意思なのかもしれないと、ふと思った。

豊富なコンテンツをお読みいただくには、会員登録が必要です。

無料登録で気軽にお試し! サービスのご紹介は こちら

※有料記事の一部を自動で取り出して紹介しています。
PR情報
検索フォーム


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

アンケート・特典情報

朝日新聞社会部 公式ツイッター