被爆者として語り部活動や核兵器廃絶運動に尽力した日本被団協元代表委員の山口仙二(やまぐち・せんじ)さんが6日、死去した。82歳だった。通夜は7日午後7時、葬儀は8日午後1時から、長崎県雲仙市小浜町北本町905の58の来迎舎小浜斎場で。喪主は妻幸子(さちこ)さん。
核廃絶に捧げた生涯学徒動員先の三菱兵器大橋工場(爆心地の北1・1キロ)で被爆。上半身に重いやけどを負い、戦後もケロイドが残り、植皮などの手術を13回受けた。入退院を繰り返しながら、1956年「長崎原爆青年乙女の会」を結成。61年には反核を訴える欧州遊説団に参加し、被団協代表委員、長崎被災協会長、長崎平和宣言起草委員などを歴任した。
82年にはニューヨークの国連本部で開かれた第2回国連軍縮特別総会で、被爆者として初めて演説し、「ノーモア・ウオー、ノーモア・ヒバクシャ」と訴えた。