秋田県花岡町(現大館市)の花岡鉱山に強制連行された中国人労働者が太平洋戦争末期の1945年6月、過酷な労働環境に抗議して蜂起、暴行や虐殺で400人以上が死亡したとされる「花岡事件」のリーダーで、戦後は戦後補償訴訟の原告団長を務めた耿諄(ケン・ツェン)さんが8月27日、老衰のため、中国・河南省の自宅で死去した。97歳だった。
事件をめぐり、耿さんら生存者や遺族でつくる原告団は1995年、当時の使用者だった鹿島組(現鹿島)を相手取り、損害賠償や謝罪を求めて提訴。東京高裁で2000年、和解が成立した。
