舞台引退のあいさつをする水の江滝子さん=1953年
「ターキー」の愛称で親しまれ舞台やテレビで活躍、プロデューサーとして日活黄金時代の一翼をになった俳優の水の江滝子(みずのえ・たきこ)さんが、16日午後6時45分、老衰のため死去した。94歳だった。葬儀は近親者で行った。
北海道小樽市生まれ。28年、13歳で東京松竹楽劇部(のちの松竹少女歌劇団)第1期生として入団。30年秋、レビュー界で初めて髪をショートカットに刈り上げ、タキシード、シルクハットスタイルで登場し、「男装の麗人」と呼ばれて人気を博した。ターキーの愛称は31年秋のレビュー「萬華鏡」でカウボーイ姿で登場し「おれはミズノーエ・ターキーだア」と言って観客から受けたことから始まった。パリのだて男役を演じた「タンゴ・ローザ」は160回の上演新記録をつくり、松竹レビュー始まって以来の傑作といわれた。
33年6月には、松竹の歌劇部員たちが待遇改善を要求して湯河原温泉にこもったときの「闘争委員長」を務め、マスコミから「桃色争議」「花の委員長」などとはやしたてられた。39年退団し、劇団「たんぽぽ」を結成した。
53年舞台を引退し、翌年から日活で映画をプロデュース。56年、「太陽の季節」の製作時に、原作者石原慎太郎氏の弟で慶大生だった裕次郎にスターの素質を見いだし、主人公の友人役に起用した。その後も、裕次郎の初主演作「狂った果実」などを製作、戦後日活の黄金時代を築くのに貢献した。
この間、45年12月、ラジオ番組「紅白音楽試合」(のちの紅白歌合戦)の紅組の司会をし、53年、NHKのテレビ放送開始と同時に始まった「ジェスチャー」の女性チームのキャプテンを、15年間つとめ、男性チームの柳家金語楼キャプテンとともに茶の間の人気者になった。