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葛西の求める着地点

2010年2月16日

 ウィスラーの深い森に囲まれてジャンプ台がそびえ立つ。

 五輪が持つ、独特の緊張感。葛西紀明がその中に身を置くのは6大会連続になる。世界中のジャンパーの中で最も長く五輪の舞台に立ち続けてきた。だが彼は、「長さ」に価値を見いだせない。

 1998年長野五輪。けがで団体の一員から外れ、金に沸く歓喜の輪の外で泣いた。「自分だけが金を取っていない」。悔しさが、天才と呼ばれた男を37歳の今もジャンプ台から降ろさないのだ。

 13日のノーマルヒルは17位と沈んだ。メダルへの強い思いが、体を縛っているように見えた。

 もう21年になる。葛西が17歳でW杯デビューした年、彼のジャンプを札幌で見た。空を舞う少年は、すでに完成の域にあった。

 72年札幌五輪70メートル級で笠谷幸生ら日本勢が表彰台を独占。以後、日本は低迷した。久々に脚光を浴びたのが、札幌五輪の年に産声を上げた葛西だった。中3で国際大会のテスト役を務め、優勝者よりも飛んだ。早熟の天才だった。

 彼の登場と交錯するように80年代後半、革命的な技が世界を席巻する。板を開いて揚力を得るV字飛行だ。だが、従来の飛型に最後までこだわったのが葛西だった。

 板をそろえた飛型を究めたい葛西流の美学だったが、潮流は止まらない。V字を絶対条件に92年アルベールビル五輪で初代表に選ばれるが、体得できず惨敗した。

 意地があった。1カ月後のW杯で葛西は初優勝を果たす。苦悩の一方で、V字を手なずけたのだ。

 笠谷氏がこう話したことがある。「恐怖と戦う選手には目の前の板だけが心の支え。なのにV字は板が眼前にない。信じがたいですよ」。恐怖は意識できるレベルではなく、潜在意識でいかに耐えられるかが勝負なのだという。

 葛西の適応力からすると、早々にV字で飛んでいれば、歴史は変わったかも知れない。潜在意識の次元から彼は「鳥人」だからだ。

 初の五輪でのつまずきが連鎖のように続く。スキー部の廃部で会社も2度変わった。骨折も2度。だが、苦境の時こそ己の体を極限まで追いつめ、強さを増した。

 「このままじゃ死ぬまで引退できない」。葛西は19、20日のラージヒルで勝負する。求め続けた着地点に立つために。(論説委員・速水徹)

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1 国旗カナダ 14 7 5
2 国旗ドイツ 10 13 7
3 国旗米国 9 15 13
4 国旗ノルウェー 9 8 6
5 国旗韓国 6 6 2
20 国旗日本 0 3 2
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