2010年2月27日17時1分
ひとは、他人を鋳型にはめて見たがる。彼について言えば、それは「障害を乗り越えて夢をつかんだ選手」という見方だろう。
ノルディックスキー距離男子のカナダ代表、ブライアン・マッキーバー(30)には、視界の中心部が見えない障害がある。健常者と比べると、視野は1割程度だ。
過去、パラリンピックで4個の金メダルを獲得してきた。今回、冬季で五輪との両大会に出場した史上初の選手として歴史に名を残すことになる。3月のパラリンピックにも出場が決まっている。
障害があるアスリートは「苦難や悲運を克服して」と定型的に語られがちだ。でも、それが本質なのだろうか。彼に「障害を乗り越えた」という意識は、あるのか。
カルガリー生まれのブライアンがスキーを始めたのは3歳だ。体育教師だった父の影響で、緑深い自然の中でスキーに親しんだ。
「兄がいつも、目標だった」。6歳年上のロビンは1998年の長野五輪にカナダ代表として出場した。その年、19歳だったブライアンは視野が徐々に狭まるのを感じる。ジュニアのスター選手だった彼は当然、自分も兄のように五輪へ、と夢を描いていた。
一時的には落胆した。だが、闘争本能は衰えない。障害を克服せねば、という気負いもなかった。
兄をガイド役に障害者のレースに出る一方、健常者とも競った。07年の世界選手権に出場、昨年末の北米カップ50キロクラシカルを制したことで五輪をたぐり寄せた。
「見えない部分があることも含めて、僕。誰しも限界は心で作ってしまうもの。障害があるから鍛えられない、なんてことはない」
多くのパラリンピアンも同感だろう。アルペンスキー男子座位代表の森井大輝(29)は事故で脊髄(せきずい)を損傷した。森井は言う。「チェアスキーに乗った瞬間、自由になれる」。競技を追求する中で、障害の存在は意識の外へ向かう。純粋にスポーツに相対する気持ちが、人を解き放っていく。
ブライアンは28日、50キロクラシカルに出場する。月が変われば、パラリンピックだ。戦う喜びを追い求めた結果として2度、最高の舞台で競える。それも、母国で。
ブライアン、あなたは今、最も幸せなアスリートの一人と言っていいだろう。(論説委員・速水徹)
お使いのパソコンの時刻情報を元に日本時間と−17時間の時差を反映したバンクーバー時間を表示しています。海外での利用時にはパソコンの時刻情報を日本時間に設定しない限り正しく表示されませんのでご容赦ください。
(日本時間)03月01日(月)07時58分現在
順位 | 国 | ![]() |
![]() |
![]() |
---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
14 | 7 | 5 |
2 | ![]() |
10 | 13 | 7 |
3 | ![]() |
9 | 15 | 13 |
4 | ![]() |
9 | 8 | 6 |
5 | ![]() |
6 | 6 | 2 |
20 | ![]() |
0 | 3 | 2 |
バンクーバーの見どころをエリアごとにわかりやすくご案内。交通情報も網羅し、初めての人も安心して「歩ける」情報満載です。
もうひとつのメーン開催地・ウィスラーは世界でも人気のウィンターリゾート。観光スポ ットなど滞在に役立つ情報をご案内します。