2010年1月8日
「バンクーバーに行きたくない」と言ったことがある。1年前のことだ。
2009年2月にバンクーバーで開かれた四大陸選手権。五輪本番のリンクを体験できる貴重な機会だった。大会前になって「出たくない」と言い始めた。姉の舞が「あんな真央は初めて」と振り返るほどの「大事件」だった。
2カ月ほど前の12月に韓国で行われたグランプリ(GP)ファイナルで、浅田は金妍児(キムヨナ)に競り勝って、3季ぶりにタイトルを奪還していた。「あれですべての力を出し尽くしちゃった」。言わば「燃え尽き症候群」のようなものに陥っていたのかもしれない。
「でもなあ……。みんなは私が出ると思ってるし、期待されてるし、出なかったら申し訳ないよね」。ため息交じりにつぶやいて、結局はバンクーバーへ向かった。中途半端な気持ちで臨んだ四大陸選手権は3位。続く世界選手権(ロサンゼルス)も4位。シニアで表彰台を逃したのは初めてだった。
「あの時のこと、本当に反省してます。『出たくない』と言った時点で気持ちが逃げていた。出場すると決めたからには、万全の状態で、本気で、練習しないといけない。スケートは私の一番好きなもので、生活の一部。もう二度とあんなことはしません」
15歳でGPファイナルを制し、世界へ華々しく飛び出した。初出場の07年世界選手権は銀メダル、08年には日本で5人目の金メダリストに輝いた。一見、順風満帆。だが実際には、大きな波も小さな波もあった。ただ、それを人に見せなかっただけだ。
初めて人前で「スランプ」をさらしてしまったのが、今季だろう。トリプルアクセルジャンプが決まらず、前半戦のGPシリーズ2戦で思うような結果は残せなかった。常連だったGPファイナル出場を逃し、五輪の切符は年末の全日本選手権までもつれこんだ。
4連覇を飾った全日本だったが、開幕の3日前には「何もジャンプが跳べなくなってしまって、焦りがあった」という。練習で泣いた。転んだ。それでも起きあがって跳び続けた。苦しみ抜いてつかんだ、初めての五輪だ。
「本当に待ち望んでいた。周りの人も待ち遠しかったと思う。金メダルだけがすべてじゃないけれど、小さな頃からこの大きな目標に向かってがんばってきた。支えてくれるたくさんの人に恩返しできる場所が、五輪だと思う」
バンクーバーに乗り込む気持ちは、昨年とは明らかに違う。
「今は早く試合に出たい」(坂上武司)
◇
■浅田真央の歩み
1990年 9月 名古屋市生まれ
1995年 (5歳) 二つ年上の姉・舞とフィギュアを始める
2002年12月(12歳) 全日本選手権に初出場
2004年 夏 (14歳) 野辺山強化合宿で初めてトリプルアクセル成功
2005年 3月 世界ジュニア選手権(カナダ)で初出場初優勝
12月(15歳) GPファイナル(東京)で初優勝
2006年 2月 トリノ五輪。年齢制限で出場資格なし
4月 中京大中京高校入学
夏 練習拠点を米カリフォルニア州に移す
12月(16歳) 全日本選手権で初優勝
2007年 3月 世界選手権(東京)に初出場。銀メダル
2008年 1月(17歳) 拠点を日本に戻す
3月 世界選手権(スウェーデン)で初優勝。日本勢5人目
12月(18歳) GPファイナル(韓国)で2度目の優勝
2009年 4月 中京大体育学部入学
12月(19歳) 全日本選手権4連覇で五輪代表に
お使いのパソコンの時刻情報を元に日本時間と−17時間の時差を反映したバンクーバー時間を表示しています。海外での利用時にはパソコンの時刻情報を日本時間に設定しない限り正しく表示されませんのでご容赦ください。
(日本時間)03月01日(月)07時58分現在
順位 | 国 | ![]() |
![]() |
![]() |
---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
14 | 7 | 5 |
2 | ![]() |
10 | 13 | 7 |
3 | ![]() |
9 | 15 | 13 |
4 | ![]() |
9 | 8 | 6 |
5 | ![]() |
6 | 6 | 2 |
20 | ![]() |
0 | 3 | 2 |
バンクーバーの見どころをエリアごとにわかりやすくご案内。交通情報も網羅し、初めての人も安心して「歩ける」情報満載です。
もうひとつのメーン開催地・ウィスラーは世界でも人気のウィンターリゾート。観光スポ ットなど滞在に役立つ情報をご案内します。