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完璧主義やめスロー調整 ジャンプ・伊東大貴

2009年10月16日15時51分

写真:ジャンプを飛び終え、斎藤監督から無線でアドバイスを受ける伊東大貴拡大ジャンプを飛び終え、斎藤監督から無線でアドバイスを受ける伊東大貴

 活動費削減を余儀なくされた土屋ホームを昨年12月いっぱいで退社。シーズンを終えた今年4月、ジャンプの名門・雪印への入社が決まった。

 「これだけ多くの金メダリストがいると、練習中でも緊張しますよ」。長野五輪で活躍した斎藤浩哉監督、原田雅彦コーチ、そして現役を続ける岡部孝信。「今までとは取り組み方というか、気持ちが違いますよね。充実した練習ができているので、すごく自信にもなっています」。褐色に日焼けした23歳の表情には、充実感が漂っていた。

 新チームのオフ練習は陸上トレーニングがメーンで、質も量も格段に増えた。一方で、サマージャンプを飛ぶ回数は半分以下に減少。来年2月のバンクーバー五輪にピークを合わせるため、例年以上にスロー調整を続けている。今オフ初めて飛んだのは、雪印の長野・白馬合宿中の6月28日だった。例年より1カ月ほど遅い。

 19歳でW杯3位と表彰台に立った逸材は「冬の競技なのに、僕は冬になると飛べなくなる変な病気にかかっているんです」という。サマージャンプのW杯にあたる昨夏のサマーグランプリでは2位に3度入り、日本勢最高位を記録。ところが、シーズンが始まってからは世界選手権の団体で銅メダルを獲得したものの、個人ではW杯7位が最高だった。

 今春、チームの先輩になった岡部に相談した。「冬に向けての調整方法について聞いたら『夏で完璧(かんぺき)に仕上げる必要はない』と。確かに、今まではサマージャンプを飛びすぎてしまい、夏にピークが来てしまう傾向がありました」。移籍先には「病気」を治せる環境があった。

 サマージャンプの減少で技術の習得が遅れがちでも、19日の札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会では5連覇を達成した。

 「あまりよくない状態の中でも、一番いい動きはできたと思います。これからだな、という感じですね」

    ◇

 いとう・だいき 85年、北海道下川町生まれ。06年1月のジャンプW杯札幌大会2位。翌月のトリノ五輪はノーマルヒル18位。

(2009年7月30日 朝刊掲載)

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