2010年2月18日5時22分
滑り終えた瞬間、3歳下のパートナー、アレクサンドル・スミルノフ選手(25)に支えられたまま、はるか遠くを見つめるような目になった。
体重38キロ。バンクーバー五輪の全選手で最も軽い。赤い衣装に包んだきゃしゃな体がしおれてしまったようだった。
国籍を変えてまで追い求めた夢は、かなわなかった。
川口からKAVAGUTIへ――。フィギュアスケートペア、川口悠子選手(28)がアルファベットでそう記されたロシアのパスポートを初めて手にしたのは昨年2月だ。
1964年インスブルック五輪から、ロシアは旧ソ連時代を含めて12大会連続でフィギュアペアの頂点を守り続けてきた王国。その代表としての重責がのしかかった。
「申請の時より、パスポートを受け取った時に、気持ちが一歩下がった。重みがきつかった」
夢への挑戦と引き換えに、日本国籍を失った。
涙がこぼれた。
「怖かったのかな。悲しいわけじゃないけれど、やはり日本人でいたかったのかな」
愛知で生まれ、千葉で育つ。5歳でスケートを始めた。「自分を高めるため、時間を惜しまず練習に打ち込んだ。目標を決めたら徹底して挑戦するタイプだった」。小学生の頃から指導した都築章一郎さん(72)は振り返る。
高校時代は、千葉県松戸市のリンクで早朝練習してから登校。放課後もリンクに戻った。
98年、長野五輪でロシアペアは金、銀のメダルを独占。この銀メダルペアに心を奪われた。「自分もあんなふうに滑りたい」。でも、ペアの指導者も練習環境も、国内は乏しい。シングルからの転向を志し、ペアのコーチだったタマラ・モスクビナさん(68)に英語でFAXを送った。
何度も断られたが、高校3年生の時にモスクビナさんの拠点だった米国へ渡った。2003年には、モスクビナさんのロシア帰国にあわせてサンクトペテルブルクに移り住んだ。
五輪では、ペアの国籍が同じでなければ出場できない。
08年夏、都築さんは一時帰国した川口選手と食事した。国籍変更して五輪に出場するには期限が近づいていた。
尋ねると「ちょっと迷っています」。そして、続けた。
「五輪に出たいから、そちらを選ぶと思います」
国籍を変えてから、「パスポートをつけて滑るわけじゃない。氷の上に乗ったら日本でもロシアでもない」と語り続けた。
前日のショートプログラムは3位。この日、両国の国旗が揺れる会場で逆転の金メダルに挑んだ。
直前の練習まで、大技のスロー4回転ジャンプを跳ぶつもりだった。だがずっと付き従ってきたモスクビナ・コーチの指示は安全策の3回転。「頭を切りかえられなかった」。そのジャンプの着氷が乱れ、手をついた。もう一つのスロー3回転でも転んだ。
中国ペアに敗れ、4位。
「クリーンに滑りたいと望みすぎた。楽しむことだけ考えようとしたけれど……」
コーチには「しょうがない。もう終わったわよ」と告げられた。
次の五輪の開催地はソチ。第二の母国ロシアが舞台だ。だが川口選手は「次の五輪のことまでは考えてない」とつぶやいた。
浮かべようとした笑顔は、ぎこちなくゆがんだ。(河野正樹、バンクーバー=坂上武司)
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(日本時間)03月01日(月)07時58分現在
順位 | 国 | ![]() |
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1 | ![]() |
14 | 7 | 5 |
2 | ![]() |
10 | 13 | 7 |
3 | ![]() |
9 | 15 | 13 |
4 | ![]() |
9 | 8 | 6 |
5 | ![]() |
6 | 6 | 2 |
20 | ![]() |
0 | 3 | 2 |
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