2010年2月23日15時6分
2回目に140メートルの大ジャンプを飛びながら、葛西紀明(土屋ホーム)は控えめに拳を握りしめた。「145メートルは飛ばないとメダルは無理だと思っていたから」。メダルには届かなかったが、飛び終えた表情には充実感が漂っていた。
「出られない選手の悔しさを僕は知っているから、すごく悔しかったと思う。今日は孝兄さん(岡部孝信=雪印)の分まで飛ぼうと思って、最後に大ジャンプができました」
■6度目の五輪
37歳で迎えた6度目の五輪で目指したのは金メダル。1998年長野大会では日本代表だったものの、1カ月前のけがが響いて団体メンバーに選ばれなかった。日本は金メダルをつかんだ。
「あのとき出られなかったことが、ジャンプ人生で一番悔しい。それは自分にとってのモチベーションでもあるし、ここまで長くやれていることでもある」。自信もあった。「身体能力、ジャンプ技術、どれをとっても誰にも負けてない。W杯で(日本人最多の)15勝もしながら、五輪と世界選手権で僕だけが金メダルを持ってない。それが一番納得できないんですよね」
■コーチと衝突
W杯通算46勝のニッカネンらを指導したフィンランド人、カリ・ユリアンティラが日本のヘッドコーチになったのは、05年夏のことだ。低迷期であっても、岡部ら日本のメダリストたちのプライドは高い。すぐに衝突した。「僕や岡部さんたちを(日本チームに)いらないって感じだった。だから、カリの言うことは一切聞きませんでしたね」
欧州遠征中に古傷のひざを痛めた葛西が休みを申し出ると、「飛べないなら帰れ」と言われた。数日休めば痛みも治まるものの、頭にきた葛西は帰国した。W杯の試合を終えた夜、部屋で軽く打ち上げをしていると「酒なんて飲んでないで、早く寝るんだ!」と怒鳴り込まれたこともある。「絶対カリには負けねぇって思ってました。そういう気持ちが強かったから(日本チームに)残っていられたんだと思います」
緊張関係が続いていたが、昨季の開幕戦で変化の兆しが表れた。会話もなかったのに、ジョークで話しかけてくるようになり、練習内容にも耳を貸すようになった。「あれ、変わったなって。カリが変わるんなら僕も円くなろうと思ったんです。『おれのジャンプどう?』って聞いたら、アドバイスをくれた」。助走姿勢で悩んでいた葛西は腰の位置などのアドバイスを受けた。すると助走スピードは上がり、飛距離も伸びた。
「年寄りを外すぞっていう雰囲気もなく、一緒に練習やって頑張れよっていう感じになった。もっと早くそうなればよかったんですけどね」
この日の団体戦で、日本は5位に終わった。だが、葛西は「悔しさよりもやり切った感じ。世界のレベルに近づいてきたと思う」。ユリアンティラも同じ意見だ。「世界のトップに返り咲こうという点で、同じ目標に向かっていたことに気づいたんだ。話し合えば分かり合える。今日のジャンプが、それを示してくれたと思う」(斎藤孝則)
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(日本時間)03月01日(月)07時58分現在
順位 | 国 | ![]() |
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1 | ![]() |
14 | 7 | 5 |
2 | ![]() |
10 | 13 | 7 |
3 | ![]() |
9 | 15 | 13 |
4 | ![]() |
9 | 8 | 6 |
5 | ![]() |
6 | 6 | 2 |
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0 | 3 | 2 |
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