2010年3月2日9時25分
閉会式。先輩と記念写真に笑顔で納まり、祝祭が終わる解放感と少しの寂しさを味わった。バンクーバー五輪日本選手団最年少の高木美帆選手(15)の五輪が幕を閉じた。
初体験ばかりの1カ月だった。
1月。カナダ・カルガリーの事前合宿。年上の選手の中で激しい練習を積んだ。「初めて(疲れが)足にきた」とこぼした。
それまで、スケートは部活動に過ぎなかった。夏はサッカー。勉強もヒップホップダンスも楽しんで、リンクに上がるのは冬だけだった。周囲は4年に一度の大舞台にかけてきた選手ばかり。気おされ、「早くジュニアに戻りたい」と漏らした。
疲労と緊張を引きずって臨んだ2月18日(現地時間)の1000メートルは、完走35人中最下位だった。
勉強もスケートも上位が指定席のはずだった。「中学生がそう簡単にうまくいくわけないべ」。桜井知克士(ちかし)コーチが慰めたが、ショックは大きかった。
「もう1本滑りたいって、強く思った」。21日の1500メートル。23位に順位を上げた。「自分なりに力を出し切りました」
翌日、笑顔が戻った。ラーメンを食べ、昼寝から目覚めたら夕食の時間だった。「久々にリラックスして熟睡したって感じです」
連日のメディアへの対応に困惑していたが、この日は自分から口を開いた。応援に来た姉の菜那さん(17)と話が弾んだこと、2人で3月のジュニアの世界大会に出ること――。「私について来られる? 足引っ張るなよ、って言っておきました」とおどけた。
五輪の持つ特別な力を肌で感じた。
カルガリーの合宿でサッカーをした長島圭一郎選手が男子500メートルで銀メダル。悪ふざけを交えながら気に掛けてくれた加藤条治選手が銅メダル。2人の活躍に心を揺さぶられた。「日本でテレビで見ていたら、きっとここまで感動しなかった。そう感じさせてくれた先輩に感謝です」
男子1000メートルで金メダルの米国のシャニー・デービス選手とも出会えた。コーチの仲介で言葉を交わしたが「『ヤングスケーター』と『グッドラック』しか分からなかった」。選手村の部屋で持参した英語のテキストを開いた。同室の穂積雅子選手(23)は「負けず嫌いな子だな」と感心した。
27日の女子団体追い抜き。出場はできなかったが、リンク脇から懸命に声を張り上げた。100分の2秒の争いを間近で見た。「先輩たちはやっぱりすごい。一緒に戦わせてくれたことを感謝したい」
表彰式の後、三つの銀メダルを首にかけてもらった。
「自分も誰かに、何かを伝えられるような滑りをしたい。(4年後の)ソチに向けてやってやろうという気になりました」。桜井コーチは言う。「みんなに支えられ、成長したんじゃないですか」
滞在中に高校の推薦入試の合格通知も受け取った。濃密な1カ月を過ごした15歳は、大人への階段を何段飛ばしで駆け上がったのだろう。
「美帆の帆はヨットの帆。風のままに進むんです」
そう言って笑う少女は、新たな世界へと船出する。(バンクーバー=稲崎航一)
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(日本時間)03月01日(月)07時58分現在
順位 | 国 | ![]() |
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1 | ![]() |
14 | 7 | 5 |
2 | ![]() |
10 | 13 | 7 |
3 | ![]() |
9 | 15 | 13 |
4 | ![]() |
9 | 8 | 6 |
5 | ![]() |
6 | 6 | 2 |
20 | ![]() |
0 | 3 | 2 |
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