「紫雲丸(しうんまる)」と聞いて悲劇の連絡船を思い出せる人は、もう少ないのかもしれない。1955(昭和30)年の5月、船同士の衝突で香川県沖の瀬戸内海に沈んだ。犠牲者は168人にのぼり、うち100人が修学旅行の小中学生だった▼高松港を出た紫雲丸には、これから出かける四国の児童生徒や、旅の思い出をかかえて帰る広島や島根の子らが乗り合わせた。「逃げ遅れた女の子、母への土産物を取りに戻り」など、本紙の記事は涙を誘う▼古来、人が海を往(い)き来してきた歴史は長い。ゆえに難破も数知れず、航海の安全はあまたの悲劇に鍛えられて、熟してきたはずだった。なのに何が起きたのだろう、お隣の韓国で、修学旅行生らを乗せた旅客船の惨事である▼乗客ら約470人のうち300人余が修学旅行の高校生だった。船は転覆した状態で沈み、なお約270人の安否がわかっていない。海水が体温を奪い、空気は限られる。秒を刻む針の動きが、肉親には分針にも時針にも思えるに違いない▼大きな災害や事故のたびに、歌人の故竹山広さんの一首を思う。〈居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ〉。そのときそこに「居合わせた人」よ――。阪神大震災の犠牲者を悼んだ歌だが、紫雲丸にも、韓国の惨事にも、あてはまることだ▼しかしいまは運命論より、一刻も早い救出を祈りたい。韓国でも修学旅行は、生徒たちが胸躍らせる行事だと聞く。巨大な船腹の内から、なんとか生還してほしい。