ある言葉を辞書で引こうと思った次の瞬間に、どの言葉だったかを忘れている。そんなおのれの老化現象を自覚しながら、赤瀬川原平(あかせがわげんぺい)さんのベストセラー『老人力』を折々めくっている▼赤瀬川さんは、物忘れをすれば新しいものが入りやすくなると前向きだ。かき集めた情報で身の回りを固めていると、人間は干からびていく。情報はどんどん捨てる方がいい。「宵越しの情報は持たねえ」といった江戸前の気っ風が好ましい▼といって人の記憶はままならない。「覚えようとするものは忘れがちなものだが、忘れようとするものはなかなか忘れられない」。赤瀬川さんの実感だ。自分の記憶ですらこうだから、人様の記憶などおよそ思い通りにいかないと考えるのが普通だろう▼ところが最近、「忘れられる権利」が話題になる。自分に関する不都合な情報をネット上から消させる権利、つまりは人様に忘れてもらう権利だ。欧州では、以前のトラブルについての新聞記事がずっとネットに残り、不利益を被った人が訴えて、5月に検索結果の削除が認められた▼日本でも似た争いがある。自分の名前を検索すると犯罪に関わっているかのような結果が出て、生活が脅かされている。そんな申し立てに東京地裁は先日、人格権の侵害を認め、削除を命じた。検索最大手のグーグルがおととい、この命令に従うと表明した意味は大きい▼仮想世界を漂う「記憶」は時に凶器になる。その適切な取り扱い方を確立すべく、試行錯誤が続く。