舟の上から流れに剣を落とした者が、船縁(ふなべり)に目印を刻みつけた。あとで目印を頼りに捜したが、舟はもう流されていて見つかるはずがない。「舟に刻みて剣を求む」の故事は、時流の変化を受け入れず、古いやり方にこだわる例えに使われる▼そうしたニュアンスをまとう言葉の一つに「大艦巨砲主義」がある。先の戦争において、航空機の有用性が認識されながら、巨砲を積んだ大戦艦が勝負を決するという思想が日本海軍で墨守された▼戦艦武蔵とみられる沈没艦が、フィリピン近海で撮影されたという。大和と同型、世界最大の戦艦は不沈といわれたが、米軍機の集中攻撃によって海深く没した。写された場所は水深約1千メートルとされる▼「発見」を伝える昨日の本紙記事には、粛然とさせられた。生還した水兵、故・渡辺清さんの『戦艦武蔵の最期』(朝日選書)はこう記している。「武蔵は、もう精も根もつきはてたように、艦底を高々と空にさらして転覆した」▼渡辺さんは重油の海を泳ぎ抜いたが、多くの将兵が艦内に取り残されたという。遺骨は今も海底に眠ったままであろう。つくづくとあの戦争は、膨大な人命と物質と精神の浪費戦だったと思う▼大和と武蔵の主砲は砲弾を40キロ先まで飛ばしたという。大艦巨砲主義の到達点は、しかし悲劇のどん底でもあった。両艦とも為(な)す術(すべ)なく沈み、日本はむごく敗れた。そうした諸々(もろもろ)を、戦後わずか70年で忘れるわけにはいかない。沈没艦という「海の墓標」の存在とともに。