東日本大震災と福島第一原発事故の被災地には、多くのアーティストが足を運ぶ。被災者や避難者に寄り添い、地道に創作を続けている人もいる。

 災害の記憶を長く社会にとどめていくためにも、さまざまな立場の人々をやわらかくつなぐ文化・芸術の力は大きい。

 映画「息の跡」の小森はるか監督は震災の翌春、東京芸術大大学院を休学して岩手へ移住した。そば屋で働きながら、陸前高田市の種苗店主、佐藤貞一さんを3年間撮り続けた。

 佐藤さんは津波で流された自宅兼店舗跡に自らの手でプレハブを建て、井戸を掘って店を再開した。英語や中国語で体験を記し、出版している。悲しみが大きすぎて、日本語で表現するのを体が拒んだという。

 映画は大学院の修了制作だったが、追加撮影と再編集をへて長編デビュー作になった。記録と表現が溶けあうドキュメンタリーは、震災を伝える有力な手立てだ。各地で順次上映されているのは意義深い。

 除染で出た大量のフレコンバッグや、海岸にそびえ立つ巨大堤防の前で弁当やお茶を楽しむ――。現代美術家の開発好明さんは昨年、連作写真「新世界ピクニック」を発表した。

 くつろぐ人々と荒涼とした風景との落差が、消えぬ傷の大きさをあらわにする。海外にも作品をたずさえ、震災がもたらしたものを問いかける。

 小森監督と開発さんはそれぞれ震災直後、東北へ通い支援やチャリティーをした。重い現実を前に、表現活動をすることにはためらいがあったが、被災者やその家族から逆に励まされ、創作に立ち戻れたという。

 2人はともに、被災地での息長い活動をライフワークにかかげる。

 震災後、被災地には多くのボランティアの姿があった。6年たったいま、アーティストの営みも実を結んできている。作品は、震災を新たな視点からとらえ直す手がかりになる。

 被災地のどこで、どんなアートが生まれるのか。新たな試みを見つけるのは難しい。しかし仙台市のせんだいメディアテークなど、震災をめぐる表現を集積している文化施設もある。

 こうした取り組みをもとに、個々のアーティストの活動をネット上で一覧できる仕掛けをつくったり、好みの企画には少額を寄付できるクラウドファンディングを採り入れたりしてはどうだろうか。

 共感に基づくゆるやかな支援で、震災から生まれる多彩な表現を育てていきたい。