| ボーダーレス●ラグビーW杯を前に |
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日本語で「チョット、ハズカシイネ」と振り返ったが、もっと心境は複雑だったようだ。6月、ツイドラキは変わった形で故郷へにしきを飾った。パシフィック・リム選手権で、日本のジャージーを着て、母国フィジーと対戦した。「僕の心配は、試合前に両方の国歌を聞くことでした」。試合には敗れたが、競技場には満員の2万人近い観客が集まり、出身の村から約30人がバスで応援に駆けつけた。前日、髪を切ったのはこの試合への意気込みの表れだった。 この国のほとんどの男の子がそうするように、国技とも言えるラグビーに小さいころから親しんだ。高校時代は午前6時に起床、強豪校にバスで1時間ほどかけて通った。しかし、ニュージーランド(NZ)のオタゴ大に進んだのは、物理に興味があったから。所属するクラブチームから奨学金が出て、ラグビーの才能が学費の一部を助けた。 NZ・オークランドで研究所の助手をしていた1994年、フィジー代表に選ばれた。初めてのテストマッチ(国代表同士の試合)は5月の日本戦。活躍が目に留まり、この年、「家族のことを考えると一番良い選択だと思った」と、トヨタ自動車にやって来た。 しばらく、フィジー代表で頑張るつもりだったが、トヨタは認めてくれなかった。国際試合を1度はあきらめたが、97年に日本代表に呼ばれ、ワールドカップ(W杯)への道が開けた。「W杯はラグビー選手の一番上の目的。ハイレベルな戦いができるでしょう」と楽しみにしている。 2年前、出身の村にラグビーチームを作った。今年、会社の好意でフィジーやトンガに、古いジャージーなどが贈られた。彼のチームの選手たちもそれを着て試合を楽しんでいる。 現役生活を終えれば、母国に戻り、レンタカー関連の仕事をする希望を持つ。でも、家族はすっかり日本が気に入った。日本の小学校に通う2年の長女リクちゃんは、ツイドラキより漢字がうまいそうだ。フィジーに帰るたびに、「早く日本へ帰ろうよ」。そう言ってお父さんを困らせる。 (1999年9月5日付朝刊から) ■ ボーダーレス(1) アンドリュー・マコーミック
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