女たちの五輪 有森裕子●Road to Sydney


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女たちの五輪(1)有森裕子
移住・結婚・プロ化・・・「新しい自分」の挑戦

有森
カフェテラスで静かなひととき=米・コロラド州ボルダーで/撮影・溝脇正

 米・コロラド州ボルダー。標高1600メートルの丘にさわやかな風が吹く。

 どこまでも高い青空に向かい、スッと伸びる木々。深緑の葉はこすれ合い、優しい音を奏でている。

 「ちょっと、ここで待っていてください」

 間もなく午後の練習時間だ。有森はトレーニングウエアに着替えに自宅に入った。目の前に、空色を映した湖が広がっている。その庭先。リスがひょこりと顔を出した。跳ねながら道を横切り、隣家との間のさくをいったりきたり。「珍しくないんですよ。よく、シカも山から下りてくるし。家を1歩出ると動物園のようなものだから」

 大自然にあふれ、しかもコロラド大の学園都市としておしゃれな雰囲気も併せ持つ人口8万人ほどの小都市に住み着いてもう2年半。シドニー五輪を待つ今、メダルを獲得した過去2回の五輪のときとは明らかに違う有森が、そこにいる。

      ◇

 「それじゃ、90分間ぐらいは戻ってきませんよ」。そう言い残して、軽やかに走り出した。緩やかなアップダウンのある道。車はときどき通るだけだ。

      ◇

 「今までレースに対して難しく考え、スペシャルなものとして捕らえてきたことが、あっ、たいしたことないな、という風に思えるようになってきたんです。競技を、特別ではなく普通のものとして、自分の心の中のいい位置にもって来られたのは、自信が生まれたからだと思います」

 新しい自分。きっかけはアトランタ五輪以来2年9カ月ぶり、今年4月のボストン・マラソンだった。企業の枠組みから飛び出し「プロ宣言」をして以来、初のマラソンだった。「環境を変え、すべて新しい中での挑戦。悪い方で考えれば、あれもなくなった、これもなくなったという状態」。そんな中で快走する。2時間26分39秒の3位。これまでの自己記録を1分22秒も短縮した。負の部分を、乗り越えた自分に、静かな喜びがある。

 「さあ、次はいよいよシドニーですね」。そういう問いかけに首を振った。

 「今まで五輪を、ホップ・ステップ・ジャンプでいえば、ジャンプと思っていた。でもジャンプしても何も終わってしまわないんです。だからシドニー五輪も、そこだけ、という感じでは捕らえていません。もし出られなかったら? そしたらボストンを目指します。生活の中のひとつのマラソンということでいえば、五輪もボストンも一緒なんです」

     ◇

 これまで、間違いなく五輪が心の中心にあった。

 1992年バルセロナは夢を実現した五輪だった。

 「出場できてうれしい、という気持ちでいっぱい。子供がうれしいというのとまったく同じ気持ち」

 そして、モンジュイックの坂を上り詰めたところに銀メダルがあった。

 だが、その夢に続きはなかった。メダルを獲得しても、選手としての自分の周囲に何の変化もない。ショックを覚えた。

 「次に進む道がなかった。さらに上を目指そうとする選手を扱う環境がなかったんです。結局、五輪が終われば、ハイッ、終わりという感じでしたね」

 前進したい自分の気持ちと周囲の意識のずれ。思い通りにいかないことに、いらだち、悩み、もがいた。

 96年アトランタは、決意の五輪だった。

 「出場しなければバルセロナ以降ぶつかったものを解決出来なかった。メダルを取らないといけないと思った。何か発言するのに、メダルを持っている、持っていないでは天と地ほどの差があるから」

 2大会連続のメダルを引っ提げ、96年いっぱいでリクルートを退社。日本陸連に対し、選手の立場のままCMなど様々な活動ができるような環境を求めた。そして、認めさせた。日本オリンピック委員会にも、肖像権ビジネスから除外することを決めさせた。

 バルセロナ五輪以降の一つの闘争の完結だった。

     ◇

 この夏。約2カ月間の欧州旅行に出かけた。夫ガブリエル・ウィルソンさんのバレエの勉強の付き添いだった。ロシアや北欧を2人で回った。

 98年1月の結婚直後、彼を巡る金銭トラブルなどで、テレビのワイドショーに追われる経験をした。バレエの勉強のためテキサス州に住む夫とは、いまも別々の生活をしている。

 「別居というより、単身赴任なんですけど、この秋、彼もボルダーで一緒に住む形になりそうです。ボルダーにバレエ学校を開く夢を持っているんです。バレエの関係書を集めた図書館もそこに併設しようと、もう500冊近くそろえたようです」。新しい道を見つけ前進を始めた夫の姿に「出来る限りのサポートをしていきます。もちろん、私がバレエに転向なんてことはありませんけどね」。けらけら笑った。マスコミから私生活を踏みにじられる経験に「いいときも悪いときもある。でもそれは、有るべくしてあった時間。最終的には自分が持った時間を生かしていきたい」。

 けがも、つらい思いも、すべてを力として過去2回の五輪に挑んできた自らの競技生活と、人生のスタンスは、同じだ。

     ◇

 語りぐさになったお守りがある。バルセロナでは、「たばこ」だった。自分のために「たばこ」をやめた小出義雄監督(現積水化学監督)にゴール後に手渡すために身につけて走った。アトランタではやはり小出監督の人形だった。

 シドニー五輪に出場したら、どうするのか。「そうですね。自分のものだけをつけて走ると思います。普段のアクセサリーをそのまま」。構えは自然、そのものだ。来年1月の大阪国際で、シドニー五輪出場をかけて走る。きっと笑顔を浮かべながら。

     ◇

 1時間半後、有森はトレーニングから戻ってきた。「1人の練習だと給水が大変なんです。途中で近所の家に立ち寄って『水飲ませて下さーい』なんて」。また、笑った。(恵藤 公浩)

<9月15日付朝刊から>

<ボストンマラソン 有森、復活の3位>

<女たちの五輪インデックス>

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