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チェルノブイリ「被災児」米代表として金に挑む

2006年03月16日13時43分

写真

12日の日本戦で、上原大祐(左)とパックを奪い合うアレックス・サラモン=イタリア・エスポジツィオニで

 旧ソ連(現ウクライナ)で86年に起きたチェルノブイリ原発事故。そのとき被災した親から生まれたアレックス・サラモン(18)が、トリノパラリンピックのアイススレッジホッケー米国代表として活躍している。

 15日(日本時間)のスウェーデン戦。フォワードのアレックスは1ゴール、2アシストと気を吐いた。チームは6―1で快勝し、準決勝進出を決めた。

 「みんなが支え合ったいい試合だった。とても満足してる」。試合後、アレックスはあどけなさの残る笑顔で言った。

 アレックスが生まれたのはチェルノブイリ事故から14カ月後の87年6月。原発の近くに住んでいた両親が被曝(ひばく)し、アレックスは両足が奇形で生まれた。4歳の時にモスクワで両足を切断する手術を受け、6歳でニューヨークのサラモン夫妻に養子として迎えられた。

 ウクライナでの記憶はほとんどない。知っているのは、原発事故で多くの人が犠牲になったということだけだ。

 「本当の両親や親類がどうしているのかも分からない。いつか両親を捜しに行きたいと思っているんだけれど……」

 そこまで言うと、言葉を切った。

 「もう死んでしまっているかもしれないね」

 両親を捜すのはいつになるか分からない。「今はホッケーが楽しいし、高校を卒業したら大学で建築の勉強をしたい」

 夢は一つひとつかなえてきた。義足でゴルフをし、泳ぐことも覚えた。友人に誘われて始めたアイススレッジホッケーのとりこになり、猛練習を積んで、パラリンピックにも出場した。

 「いまの目標はトリノで金メダルをとること」

 そんな夢の先に、いつの日か、両親との再会がかなうかも知れない。




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