失って、見つけたね

マツコ・デラックス x パラアスリート

浦田理恵

リオデジャネイロ・パラリンピックの女子ゴールボール日本代表の「守護神」と、タレントで日本財団パラリンピックサポートセンター顧問のマツコ・デラックスさんが語り合った。光のない世界で見つけた「希望」とは。構成・榊原一生 写真・金川雄策
2016年8月27日 公開

あっ、いいにおいがする。

ほんと? 汗かいてるけど。

私は両目が見えないので、においや音に敏感なんです。マツコさん、お風呂上がりのいいにおいがします。触ってもいい?

いいわよ。たぶん、お相撲さんみたいよ。

うわっ! ブラジルの選手よりもデカい。テレビやCMで声は聞いていましたが、想像より二回りぐらい大きくてびっくり。

聴覚を研ぎ澄まして

普段はどこの感覚を研ぎ澄ませているの?

一番は音ですね。例えば人の機嫌は声とか音で判断します。目が見えなくなってから、耳の感覚とイメージする想像力が以前よりも高まりました。私、イヤリング全く持っていないんです。耳が命だから。

人間ってすごいね。何かの機能を失えば他の神経が補おうとするのね。もちろん相応の努力は必要だろうけど、確実に進化をしている。目が見えなくなったのはいつだったの?


20歳の時です。小学校の先生を目指していた矢先、難病で子どもの顔が見えなくなりました。先生になる夢を諦めなくてはならず、親に弱みも見せられない。しばらく一人暮らしの自宅に引きこもりました。1年半後、意を決して親に打ち明けた時には、もう母の顔は見えなくなっていた。後悔しました。今みたいに笑える日がまた来るとは、その時は思ってもみませんでしたね。

逆境を乗り越えて再び普段の生活を手に入れることはそうたやすいことじゃない。浦田さんに前を向かせて生きるきっかけとなったのは、やっぱり競技との出会いだったのよね。


まつこ・でらっくす1972年、千葉県生まれ。ゲイ雑誌の編集者などを経て、コラムニストに。大きな体と歯にきぬ着せぬ物言いで活躍の場を広げ、テレビ出演は多数。
うらた・りえ1977年、熊本県生まれ。20歳の時に網膜色素変性症で両目の視力を失った。ロンドン大会で「金」を獲得。日本代表チーム主将。

- 朝日新聞デジタル リオパラリンピックサイト -

リオパラリンピック2016