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「巨匠ピカソ」
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ピカソとピカソ美術館

 20世紀を代表する美術界の巨匠、パブロ・ピカソ(1881〜1973)は、91年の生涯を通じて常に新しい表現に取り組みました。本展は、パリの国立ピカソ美術館の改装によって実現した世界巡回展の一環で、東京・六本木にかつてない規模の作品が集結する大回顧展です。国立ピカソ美術館のコレクションは、ピカソが最後まで手元にとどめていた貴重な遺品の中から選りすぐられた作品が中核です。

 国立新美術館で開催する「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡 」展では、初期の青の時代からキュビスムや新古典主義の時代をへて、第2次世界大戦を乗り越えた晩年までの創作の軌跡を、油彩画を中心とする約170点でたどります。

 一方、サントリー美術館で開催する「巨匠ピカソ 魂のポートレート 」展では、「自画像」をテーマにした約60点で、ピカソの内面に迫ります。

パブロ・ピカソ(1881〜1973)

 1881年10月25日、美術教師の父、ホセ・ルイス・イ・ブラスコ、母マリア・ピカソ・イ・ロペスの長男として、スペイン・アンダルシア地方南部のマラガに生まれました。

 バルセロナ、マドリードの美術学校に学び、1900年にパリに出ます。「青の時代」を経て、1904年のパリ定住を契機に柔らかな色調の「バラ色の時代」に転じました。1906年、セザンヌとアフリカ彫刻に感化され、翌1907年、20世紀絵画の起点とされる《アヴィニョンの娘たち》を発表。1908年、ブラックとともにキュビスムを創始。分析的段階を経て、パピエ・コレ、コラージュを開拓し、総合的キュビスムに展開させました。その後「新古典主義の時代」に入り、1920年代はシュルレアリスムに接近しました。1937年、スペイン・バスク地方へのドイツ軍の空爆をテーマに大作《ゲルニカ》を制作。大戦後は陶器や鉄細工も手がけ、1973年4月8日、南仏のムージャンで没。91歳でした。

 その驚異的な創造力は終生滞ることなく、数万点に及ぶ作品を残しました。

パリ・国立ピカソ美術館

写真
パリ・国立ピカソ美術館

 パリのピカソ美術館が置かれている建物は、塩税徴収官だったピエール・オーベールが1656-59年に建造させたため、「サレ(塩のきいた)館」と呼ばれます。今も17世紀の貴族の邸宅が建ち並ぶマレ地区でも有数の美しさを誇る館です。

 1973年にピカソが亡くなり、遺族にはピカソ本人が所蔵していた膨大なコレクションが遺されました。多くが国に納められることとなり、1985年、国立のピカソ美術館が設立されます。所蔵品は、ピカソが生涯手元に置いていた初期から晩年にいたる膨大な作品群の中から厳選されたもので、ピカソ芸術の全貌を知る上で貴重なコレクションとなっています。

 絵画や彫刻のみならず、制作の過程や構想の変化を示す習作も揃えられ、総数は絵画203点、彫刻158点、レリーフ絵画29点、陶器88点、デッサン、パピエ・コレ1,500点以上にのぼります。

 ピカソの作品に加え、セザンヌ、ドガ、ルソー、マティス、キリコなど、彼が所有していた作家の作品も展示され、遺族からの寄贈を中心に年々収蔵品を増やしています。 本展は、ピカソ美術館の大改修に伴って可能になった世界巡回展の一環として、マドリード、アブダビに続く東京での開催となります。

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