80年代、アメリカからスタート
ピンクリボン運動は、女性の8人に1人が乳がんを患うといわれているアメリカで80年代から盛んになりました。乳がんはごく早期に発見されれば95%が治癒すると言われています。このため、行政、市民団体、企業などが乳がんの早期発見を啓発するためのイベントを展開したり、ピンクリボンをあしらった商品を販売して収益を研究団体に寄付したりする運動が積極的に行われました。その結果、検診率が高まり乳がんによる死亡率は低下しました。
日本における乳がん事情〜日本女性の20人に1人〜
日本では、女性の20人に1人が乳がんになると言われています。にもかかわらず、乳がんに対する関心も検診率も低く、気付いた時には進行がんが多いという状況です。よって、乳がんで亡くなる女性の数も急増しています。2007年に乳がんで亡くなった女性は11,323人(厚生労働省 人口動態統計)で、年々増えています。女性の壮年層(30歳から64歳)のがん死亡原因の第1位となっています。
患者数の推計では、30歳を過ぎたあたりから急に増え始め、45〜49歳のピークまでうなぎのぼりです。他の主ながんは60歳代以降がピークになりますが、乳がんは早い年代にあるのが特徴です。
乳がんの原因は女性ホルモンの乱れといわれています。現代の日本人女性は、少子化や高齢出産の増加などに関係して、昔に比べて女性ホルモン(エストロゲン)の影響を受ける期間が長くなっていることが原因の一つと考えられています。高カロリーで脂肪の多い食生活も影響していると考えられています。
「私は乳がんにはならない」という思いがあなたにはありませんか?
※40歳以上の女性は、2年に1度はマンモグラフィ検診を受けることが国の指針となっています。
日本でのピンクリボン活動 日本でもピンクリボン普及活動がスタート
古くは、乳がん患者会などが乳がんの早期発見の大切さを訴えるための活動を行なってきましたが、2000年頃から、日本の乳がん事情に危機感を抱いた専門医などが啓発団体を立ちあげたり、また外資系企業が中心になって独自で啓発イベントを実施したり、ピンクリボンをあしらった商品販売をするなど、乳がんの早期発見を啓発するための活動がスタートしました。
ピンクリボンフェスティバルの成り立ち 2002年に企業枠を超えたコラボレーション
〜2003年 ピンクリボンフェスティバルが誕生!〜
このように、企業や団体の個々の活動がスタートしました。その中で「一社では限界がある」「点の活動を広げたい」という企業や団体の声を受け、2002年に朝日新聞社は、賛同企業9社とともにシンポジウム開催という形でピンクリボン活動をスタート。日本で初めて企業枠を超えたコラボレーションが実現しました。
その後、活動のビジョンを「乳がんの早期発見・早期診断・早期治療の大切さを伝える」と設定し、2003年からは日々の生活の中で、乳がんを自分の問題として意識してもらいたいと、「街」と「人」をコンセプトにした「ピンクリボンフェスティバル」を開催することになりました。
(財)日本対がん協会をはじめ、六本木ヒルズやNPO法人大丸有エリアマネジメント協会(大手町、丸の内、有楽町の街づくりNPO法人)という街や日本音楽事業者協会などの団体と「運営委員会」を設立。シンポジウム以外にも、ウオークイベントの実施、街のデコレーションや、テレビ朝日新社屋のライトアップ、原宿駅の16面大型広告ボードのジャックなど、規模を拡大しました。さらにYahoo! JAPANやテレビ朝日とメディアミックスさせることで、全国展開をスタートさせました。
東京タワー(10月3日) |
ピンクリボン・スマイルウオーク参加者
と丸の内・仲通りのピンクリボンバナー |
有楽町マリオンに
ピンクリボンオブジェが登場 |
ピンク色に染まったテレビ朝日新社屋
(10月10日〜13日) |
原宿駅16面ボード(ジョイボード)をジャック |
全国のピンクリボン運動とリボンマーク
現在では自治体、NPO法人、企業、任意団体などが主催するピンクリボン活動が、日本中で展開されており、ピンクリボンのシンボルマークも、各運動団体によって異なります。
このマークは「ピンクリボンフェスティバル」(朝日新聞社など主催)のシンボルマークです。
許可なく使用することはできません。 |
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