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境界線「溶かす」対話で身近なところから 【世界平和経済人会議ひろしまコラボ企画】

境界線「溶かす」対話で身近なところから 【世界平和経済人会議ひろしまコラボ企画】
平原依文・WORLD ROAD共同代表=2022年7月29日、東京都港区
WORLD ROAD共同代表/平原依文

「世界平和経済人会議ひろしま」とSDGs ACTION!の共同で、平和とビジネスのあり方を考える企画。最終回は、社会を変えようと動く「チェンジメーカーズ」の一人、平原依文さんです。二つの会社を経営し、青年版ダボス会議(One Young World)の日本代表も務める平原さんが追いかける教育事業と平和は、どうつながっているのでしょう。(インタビューは2022年7月29日実施、聞き手=編集長・高橋万見子)

平原依文(ひらはら・いぶん)
8歳から自らの意思で中国、カナダ、メキシコ、スペインに留学。2017年に早稲田大学国際教養学部を卒業後、民間企業でデジタルマーケティングやコンサル業務を経験。その後、教育事業を手がけるWORLD ROADを創業。2022年、HI合同会社も設立。Forbes JAPAN 2021年度「今年の顔 100人」に選出。朝日新聞デジタルのコメンテーターも務める。

世界平和経済人会議ひろしまとは
「国際平和」をビジネスの重要なプラットフォームとして位置づけ、企業やNGOなどの各主体が参加して、ビジネスと平和貢献のあり方の関係を多面的に議論し、真に平和で持続可能な国際社会につなげることを目指す枠組み。2013年に初めて 「国際平和のための世界経済人会議」を開催し、被爆から75年を迎えた2020年からは「世界平和経済人会議ひろしま」に改称して続けている。2022年は9月8日に7回目を開催した。

中国人担任の「あなたなりの歴史を」が転機に

――現在は、どんな仕事をされているのですか。

会社を二つ経営しています。一つは「WORLD ROAD」という会社で、「地球を1つの学校にする」をミッションに掲げています。

2021年、201カ国202人の夢を一冊の本にまとめた『WE HAVE A DREAM  201カ国202人の夢×SDGs』を出版しました。そこに登場する世界の若きリーダーと日本国内の学校とをつなぎ、新型コロナで思うように実施できない修学旅行の代わりになるオンライン授業を展開しています。世界各国の当事者から、それぞれの課題と具体的なアクションを話してもらい、それを切り口に対話を進める事業です。

<span>『WE HAVE A DREAM  201カ国202人の夢×SDGs』</span>
『WE HAVE A DREAM 201カ国202人の夢×SDGs』

もう一つは、平原依文の頭文字を取った「HI(ハイ)」という会社です。2022年、誰もが世代や国籍、宗教に関係なく「こんにちは」と言えるような社会を作りたいと起業しました。

こちらは主にSDGsのコンサルティングや研修、インターン学生による企業の社員のみなさんへのリバースメンタリング――学生たちが社会課題を解決したい企業の相談に乗り、「こういうことをしたらいいのでは」と提案したものを事業化する――などを手がけています。企業も「次世代のために」と言うのであれば次世代と一緒に考えてほしいと思い、仕組みを整えました。すでにJT(日本たばこ産業)さんをはじめ、数件が具体的に動いています。

――小学生で自ら中国への留学を決めました。若くして非常に多彩な経歴をお持ちです。

背景には私の生い立ちがあります。母がシングルマザーで私を身ごもり、友人だった今は亡き育ての親の父と事実婚をして私を育ててくれました。ただ、当時はあまりない家族形態だったため「ふつうの家庭と違う」ことを理由に、いじめに遭うようになりました。幼いなりの自己防衛策だったのですが、声を上げてまた傷つくよりはと、黙って耐えていました。でも心の中では、「なんで社会と自分との間にこんなに境界線があるんだろう」と感じていました。

1年生の2学期、クラスに中国人の女の子が転校してきました。「中国人だから」と今度は彼女がいじめのターゲットにされました。当然、彼女も私と同じように声を押し殺してやり過ごすだろうと思っていたら、正反対。理不尽な扱いに反論するだけでなく、例えば算数の授業でわからないことがあれば「この問題はどうすればいいの」と積極的に話しかけてくるんです。いつの間にかいじめはなくなり、ぎこちない日本語ですら「そのアクセント、かわいい」と言われるまでに変わって。

「どうしてそんなに強いの?」と聞いたら、「私は中国人だから」と。中国の人口は日本の10倍以上で、満足に学校で勉強できない子もいる。だからハングリー。私は日本でこんな恵まれた機会をもらえているのだから強く生きようと思っている、と言うんですね。

シンプルに「彼女みたいになりたい」「中国に行ったらなれるかも」と思い、親に「向こうの学校に行きたい」と訴え続けました。あくまで旅行前提で行った上海で受け入れ校を探し、たった1校「OK」と言ってくれた全寮制の小学校に単身で転校しました。ほぼ中国人オンリー、全寮制の学校です。2年生の2学期でした。

中国留学時代の平原さん
中国に留学していたころの平原依文さん(左端、本人提供)
カナダ留学時代の平原さん
カナダに留学していたころの平原依文さん(右から2人目、本人提供)

ところが、向こうに行ったら行ったで、境界線が出てきました。歴史の授業やホームルームの時間に、南京大虐殺についての動画などが繰り返し流されるんですね。小学生の私にとっては初めて触れる歴史です。「え、日本人はこんなことをしたのか」「そりゃ嫌われる」「こっちに来たのは間違いだったかも」と、小さくなって孤独に過ごしていました。

見かねたのでしょうか。担任の先生が私を呼び、アメリカの歴史の教科書を見せてくれたんです。同じ歴史上の事象でも、国によって語られ方はまったく違う。それは権力のある人が歴史を書き換えるから。だからあなたは国籍を超えた一人の人間として、目の前にいる人と対話しながらあなたなりの歴史をつくっていってほしい――そう話してくれました。

そこから一気に世界が変わりました。全然できなかった中国語も電子辞書で調べたり自分から周囲に尋ねたりするようになりました。すると、みんなが協力して教えてくれるようになり、成績も上がりました。すごく幸せで。ああ、そうだ、日本で転校してきた中国人の彼女もこうやって行動したんだ、と思いました。

6年生のときに、同級生の一人がカナダに移住することになりました。いろんな国籍や宗教が交じり合う国と聞いて、日本とも中国とも違う国に自分も行ってみたいと興味がわき、12歳で今度はカナダに転校しました。高校生になった16歳でカナダからメキシコに交換留学し、大学時代はスペインにも留学しました。

平原依文さん

実体験ほど強い原動力はない

――すごい行動力ですね。「教育」を仕事にと志したのは、そうした留学経験からですか。

そうですね。どの国に行っても、結局は対話を繰り返して互いを理解し、尊重しあうことがすごく大事なんだな、と身をもって感じたことは大きいです。

もう一つ、いまにつながる忘れられない思い出があります。メキシコに留学していた2011年、父ががんになり、「手術するから帰国してほしい」と母から電話が来たんです。2日後の3月11日に成田空港に着き、バスで恵比寿の病院に向かったんですが、途中で急に止まったんですね。回りを見渡すと、電柱とかが揺れている。「地震なので停車します」と運転手さんがアナウンスして。東日本大震災でした。

携帯電話もつながらず空港に戻って一夜を過ごしました。次の日もほとんどの電車が止まっていたので、ヒッチハイクで恵比寿に向かうことにしました。

稲毛駅の近くで、ある年配の女性が自分の車に乗せてくれました。運転しながら彼女が話しかけてきます。私がメキシコ留学中と聞くと、
「もし、メキシコだったらこうやって知らない人の車を止めて乗れた?」
「いいえ」
当時、メキシコはマフィアと警察との攻防が激しく、外出するのも一苦労でした。

重ねて彼女は「日本って戦争で勝った? 負けた?」と聞いてきます。
「負けました」
「そうよね。最後はどう負けた?」
「爆弾を落とされて」
「そうね。なのに、なんで日本はこんなにきれいで安全な国になったと思う?」

わからず黙っていると、彼女が言いました。
「私たちが頑張ったからよ」
「若い人たちはすぐ日本なんてダメだと海外に行こうとする。平和な日本が当たり前だと思っている。でもね、当たり前ってそんな簡単にはできないのよ」

それを聞いた瞬間、あ、日本に帰って日本のことを勉強したいという思いに駆られました。そして平和な日本から境界線を溶かす教育事業を起こしたいと。それで、大学へは日本で進学することにしました。

JRが復旧せず駅前でバスに乗り込む人たち
JRが復旧せず駅前でバスに乗り込む人たち=2011年3月12日、千葉県浦安市(撮影・朝日新聞)

――これもまた、すごい体験ですね。平和の大切さを教育で伝えたいという平原さんの原点が伝わってきます。とはいえ、日本の若い人は「平和」と言われてもピンとこないのでは?

インターネットの時代に育っているので、以前に比べて世界の情報は手に入れやすくなっていますし、感覚も鋭くなっていると思います。ただ、だからこそ現実的だし、将来が見えにくいので不安にもなっている。まずは自分のことで精いっぱい、というところはありますね。

だから、「平和は大事」と上から押しつけても、なかなか受け入れられない。別の切り口から入っていく工夫がいると思います。問いかけ、といえばいいかな。まずは身近なことから。それがどんなふうにほかのこととつながっているんだろう、と、問いかけを通じて根幹にある課題が見えるようにしていく、という感じかな。

――いま手がけている「授業」も、そういう手法ですか。

そうですね。例えばよく「分断」について話したりするんですが、いきなり日中関係とか日韓関係から入るのは、むずかしすぎる場合もあります。なので、もっと身近なところ、例えば、「なんで『リケジョ(理系女子)』という言葉はあって『リケダン(理系男子)』とは言わないんだろう?」と聞いてみる。そこからジェンダーの分断の話へとつなげていく。

こんなケースもありました。ある学生さんの両親はとにかく韓国が嫌いで、韓国料理屋に行くのはもちろん、キムチを買うのもだめだったそうなんです。でも自分はすごくK-POPのアイドルが好きで、悩んでいた。そこで、韓国と日本についてたくさん調べ、自分の世代の観点から「政治・歴史」と「人・文化」を切り離して両親に話してみた。すると、理解を示しはじめてくれたそうです。

「なんで」を繰り返していくと、だんだん物事の解像度が上がっていきます。最後のほうで世界観みたいなところにたどりつくころには、みんなの表情がとっても和らいできます。

WORLD ROADのサイトから
WORLD ROADのサイトから

自分もそうですが、実体験ほど強い原動力はないと思っています。データや歴史ももちろん大事なんですが、身近な体験、日々当たり前に存在していることについて立ち止まって「あれ、これって?」というところからたどりついた考えやアクションはすごく強いものになります。

私、意図的に境界線を「溶かす」という表現を使うようにしているんです。境界線は、何らかの意図や背景があって生じているので簡単に「なくす」ことはできません。でも「溶かす」ことはできる。そう思っています。

結論を意識しない「対話」が大事

――世界平和経済人会議ひろしまとの関係も、強い実体験に基づくのでしょうか。

2019年に佐々木喬史さんたちが開いた「国際平和拠点ひろしま+東京コミュニティ」に参加したのが最初です。前年の2018年に、青年版ダボス会議に日本代表として参加した際、仲良くなった方から、「先生やNPO、ビジネスパーソンといろんな人が平和について考える会があるんだけど、来ない?」と誘われたのがきっかけでした。いろんな人が集まって一つのテーマについて考えるというのが面白そうだな、と。

会議を開くと、人はつい結論を求めたくなるんですが、私は結論を意識しない「対話」が大事だと思っています。すべては語り合うことから始まる。平和って、人間にしかない発想ですよね。だったら、人間にしかないやり方で実現したい。それって何か、と考えると、対話なんじゃないかと。

実は、ピースマーケティングという言葉は今回、インタビューをお引き受けするまで知りませんでした。ただ、自分なりに解釈すると、平和は政府や国連が語るだけのものではなく、私たち一人ひとりが語っていく問題であるべきだよね、ということを指しているのではないかと。SDGsもそうですが、遠い存在と思いがちなものを近くに引き寄せる手法のことではないかと思います。

<span>平原依文さん</span>

――SDGsのなかでも「平和」は個人としてできることを考えるのが難しい目標です。

平和のためにできることって、遠く感じるかもしれないんですが、実は自分が毎日選ぶものからスタートしているんじゃないでしょうか。

私、トニーズチョコロンリーというチョコレートのブランドが好きなんです。チョコっておいしいですが、その裏では児童労働などの現代的な奴隷労働問題や人身売買、紛争の元になる課題が数多く存在している。それを解決するためにオランダ人のジャーナリストが一人で立ち上げたブランドです。私ができるのは、トニーズチョコロンリーを選んで買うことでしかありませんが、それも平和への貢献に連なる道だと思います。

平和のロールモデルだからこそ

――安倍元首相の狙撃事件は、どのように受け止められましたか。

事件が起きた時、私は沖縄でイベントに登壇していました。ずいぶん携帯がブーブー鳴るなと思いながら仕事をしていたのですが、後で見たら、海外の友人からも20件以上の連絡が入っていました。

なかでも、シリアやアルメニア、アゼルバイジャン、あるいはポーランドに避難しているウクライナの子とか、内戦や紛争が起きている地域の友人からのメッセージが多かったんです。みんな「大丈夫? 大丈夫?」って。

苦労して民主主義を手にした彼らにとって、日本は平和の象徴であり、ロールモデルなんですね。「私たちは日本から復興力、レジリエンスを学んだ」とよく言われます。だから彼らは「その日本でこんなことが起きるなんて、ショッキングだ」と反応した。

当日はまだ原因などもよくわからず、どうしてこんなことが起きてしまったのか考えると苦しくなるばかりでしたが、世界が日本をどういう存在として見てくれているかをいま一度確認することにはなりました。

「あの日本で平和を不安視させることが起きるなんて。でも、だからこそ、日本らしい平和へのメッセージを発信してね」と励まされた。それに応えたいです。今年も青年版ダボス会議に参加しますし、来年は広島でG7サミット(主要7カ国首脳会議)も開かれます。さまざまな国の人が集う機会に自分も何らかの形で関わりながら、命の平等、大切さ、それを守る平和のことを伝え続けていきたいと強く思っています。

平原依文さん
高橋万見子
高橋万見子 ( たかはし ・まみこ )
朝日新聞SDGs ACTION!編集長。1988年、朝日新聞社に入社。経済記者、GLOBE副編集長、論説委員、学習院大学非常勤講師、盛岡総局長などを経て2019年9月からメディアビジネス担当補佐。20年10月より現職を兼務。
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