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正解のない時代の「共通の善」に 前野隆司・慶応大教授が語る「ウェルビーイング」が目指すもの

正解のない時代の「共通の善」に 前野隆司・慶応大教授が語る「ウェルビーイング」が目指すもの
慶応義塾大学教授/前野隆司

最近、様々なところで耳にするようになった「ウェルビーイング」。でもその中身について、詳しいことは知らないという人も多いのではないでしょうか。

学術の世界ではウェルビーイングはどのように扱われ、そしてこれからその研究はどこに向かうのか。ウェルビーイング研究の第一人者である前野隆司・慶応義塾大教授に話を聞きました。(聞き手 編集部・田之畑仁、撮影 末松学史)

*末尾にイベントの案内があります

前野隆司(まえの・たかし)
慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授、同大学ウェルビーイングリサーチセンター長。博士(工学)。キヤノンなどを経て現職。幸福学、幸福経営学、イノベーションの研究・教育を行っている。著書に『ディストピア禍の新・幸福論』『ウェルビーイング』『幸せな職場の経営学』『脳はなぜ「心」を作ったのか』など多数。

論文数 ほぼゼロから年間1000件規模に

――学術の世界では今、ウェルビーイングはどのようにとらえられているのでしょう。

医学の世界では「健康」という意味で「ウェルネス」とか「ウェルビーイング」が使われていました。心理学の世界では、「サブジェクティブ・ウェルビーイング(主観的幸福)」がひとつの重要な分野として研究されています。

福祉の分野でも、ウェルビーイングを「福祉(ウェルフェア)」に近い意味で使っています。このように学術界では昔から、それぞれの分野でウェルビーイングという言葉が使われてきました。

私の研究分野に近い心理学のウェルビーイングに関する研究で見ると、1980年代ぐらいから2020年までの間に論文数が急激に増えました。ほぼゼロから始まったのが、今は年間1000件ぐらいになっているのです。

研究者も増えていて、世界中にいる何千人の研究者からいろんな成果が出ている、とても面白い分野です。

例えば「感謝する人は幸せ」とか「記憶力が悪い人のほうが幸せ」とか、ちょっと面白い研究成果も出てくるわけですよ。ほかにも「大きな夢を持つより、まあそこそこで満足する人のほうが幸せ」「男性は結婚すると幸せになるが、女性は意外にあまり幸せにならない」など、話題性のある結果も出ています。

主観的ウェルビーイングの研究自体はかなり前から進んでいたのに、僕みたいに一般向けに話す人があまりいなかったせいで、意外と世の中に知られていなかったのです。決して隠されていたわけではないですけどね。

それが、ポジティブ心理学とかいろいろな分野で一般に広まり始めた。今はそういうフェーズです。

前野隆司さん

学会も発足 産・官・学で「新しい動き」を模索

――それぞれの分野で深掘りされ、全体として右肩上がりで広がっているということですね。ウェルビーイング本来の定義に沿って「健康」「幸せ」「福祉」を包括的にとらえようという動きはないのでしょうか。

まさにそれを今、私たちが進めているところです。2021年12月に「ウェルビーイング学会」を立ち上げました。私が会長を務めています。医学は医学、心理学は心理学、福祉は福祉とバラバラにやらず、新しい動きを作りたいというのがこの学会を立ち上げた意図の一つです。

私は工学系出身なので、例えば「人々のウェルビーイングを高める新聞」「人々のウェルビーイングを高めるカメラ」といった、これまでにない新しい製品やサービスを考えていきたい。

ほかにも働き方、街づくり、組織作り、教育など、いろいろなところにウェルビーイングの考え方を入れる余地があります。心理学や医学の基礎研究から工学やテクノロジー、あるいは教育学や街づくりなど、様々なかたちで出口を広げていきたいのです。

今はまさに、産・官・学みんな一緒になってウェルビーイングの研究成果を世の中に広めていく――そういうフェーズにあると思っています。

「健康」と「福祉」と「幸せ」に関する研究を統合し、研究者や企業、政府も一緒になってウェルビーイングな社会をつくる。それは、誰からみても「善」である。これがウェルビーイング学会の主張です。

現代は「正解のない時代」と言われていますが、ウェルビーイングの「みんなが幸せで健康になったほうがいい」という考え方は、「共通の善」となり得るものです。本来、すべての人が幸せになるべきですよね。

哲学的にポストモダンとされる現代社会は、「中心を失った世界」と言われていますが、実は「ウェルビーイング」という新しい中心があったんですよ。

――かなり大きな概念になりますね。

全分野統合的な言葉ですね。専制政治や独裁政治に陥るのではなく、みんなの幸せを考えようという政治的、イデオロギー的な意味もあるでしょう。

SDGsの次の大きなテーマはウェルビーイングだと言い切っている研究者もいます。SDGsは、環境、健康、経済などに細分化していましたが、それを統合するのがウェルビーイングではないかと。

この流れが「小さな流行」で終わってしまうのか、または「産業革命以来の人類の大きな転換点」になるのか。そういう面白い時代に直面しているんだというふうに、私は見ています。

カギを握る「若手」「分野横断」「社会実装」

――「ウェルビーイング学会」を中心に、日本での動きは今後どのように進んでいくのでしょうか。

医学、心理学、福祉工学などそれぞれの分野では、すでにきちんと研究が進んでいます。ですから今後は、それらの成果を学術横断的にとらえ、何らかのサービス作りにつなげていくという動きが活発化してくると思います。

最近のトレンドの一つは経営学です。幸せに働くことが大事だとする「ウェルビーイング経営」が広がりつつあります。基礎研究の知見を蓄積したうえで応用研究につなげていくことに取り組みたいですね。

ウェルビーイングに関わる研究者は、これから一気に何千人という数になるのではないかと楽しみにしています。ウェルビーイング学会には、各分野の一流の人に参加してもらって、それぞれの研究分野を横串で横断的に貫くことができれば、世の中にきちんと貢献できるはずです。

若手の優秀な研究者にもどんどん入ってもらいたい。単にお祭り騒ぎをするのではなく、学術レベルの高いきちんとした学会にしないと意味がありません。

日本の学術界は、異分野交流が少ないといわれています。例えばアメリカでは、哲学者だけど論理学をやりながら数学もやっていますとか、脳神経科学と心理学と社会学をやっていますというように、どの研究者も文系と理系の垣根を簡単に越えてきます。

日本の場合、自分が所属する学会で真面目に論文を書かないと偉くなれないという「たこつぼシステム」になっている側面が大きく、「分野横断型」の人があまり育っていません。

ウェルビーイング学会では、心理学者が街づくりにも絡むなど、いろいろなことができるはずです。そういった面でも、日本の学術界の活性化に寄与したいと思っています。

前野隆司さん

――若い研究者を中心に、学術横断的な研究を進めていくことは、やはり日本の学術界にとって必要なことなのですね。

例えば、ITで世界を席巻した「GAFA」のような存在がここ30年、日本から出てこないというのは、まさにこのような考え方が不足していたことが一因ではないでしょうか。

Facebookを作ったのは、バリバリ理系のハーバードの学生でした。テクノロジーと消費者ニーズみたいなものを普通につなげたわけですよね。Amazonだって、本をインターネットで売ろうという原点は、普通の発想とテクノロジーを組み合わせたもの。シンプルな発想なんです。

私はもともとロボット工学をやっていましたが、東日本大震災の際、現場では日本の大学のロボットがまったく役に立たなかった。

我々はどうやったら滑らずに物が持てるかといったような部分的研究では高いレベルの技術を持っていました。しかし、そういった個々の技術を集めて全体として構築し、震災の現場でも歩くことができて、壊れずにちゃんと原子炉を見てくる、というようなロボットが作れなかった。

日本の学術界のレベルが低いわけではありません。ただ、学術界があまりやってこなかった「分野横断」や「社会実装」の考え方が抜けていたことが大きかった。

基礎と応用、産業界と学術界、文系と理系、機械工学と電子工学など、ありとあらゆるミクロからマクロまでの融合があってこそ、災害救助のような現場では力を発揮することができる。

同じような問題は、SDGsでも起きています。いちばん大きな概念だったはずなのに、なぜか「私は3番やってます」「私は5番やってます」というふうに細分化されてしまい、本来の目的である「より良い地球を作る」ということからどんどん離れてしまっている。

やっぱり次の時代はゴールを一つにしたい。それがウェルビーイングだと。うまくいくかどうかはやってみなければわからない部分もありますが、少なくとも我々は人生を賭けてウェルビーイング学会というものをやっていきたいと思っています。青臭いかもしれませんが、そこは本気で何とかしたいですね。


SDGs ACTION!では、ウェルビーイングをテーマに、Zoomによるウェビナーを開催します。前野隆司さんにも登壇いただく予定です。参加無料。ぜひお申し込みください。

SDGs ACTION! LIVE「ウェルビーイング産業の可能性」

【日時】 2022年10月13日(木)14:30~16:00

【会場】 Zoom開催(お申し込みをいただいた方に別途ご案内いたします)

【登壇者】
前野隆司・慶応義塾大学教授
藤田康人・株式会社インテグレート代表取締役社長

【内容】
講演(前野隆司さん) 「ウェルビーイングの重要性について」
講演(藤田康人さん) 「ウェルビーイング産業の潮流」
対談 「ウェルビーイング産業の可能性とこれから」
ファシリテーター 高橋万見子・SDGs ACTION!編集長

田之畑仁
田之畑仁 ( たのはた ・ひとし )
朝日新聞総合プロデュース本部主査。大阪府出身。商社勤務を経て1998年朝日新聞社入社。科学医療部(東京・大阪)、医療サイト「アピタル」編集部、デジタル編集部、北海道報道センターなどの勤務を経て、2020年4月から現職。
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