山形市の須藤昭夫さん(74)は労働組合の闘士だった。だが、かつて企業経営者らに声を張り上げた姿は今はない。
10年ほど前から、肺の細胞が徐々に壊れる肺気腫を患っている。階段を上っても息切れがする。鼻にチューブを入れ、酸素吸入器を手放せない。
社民党が3区に候補者を立てると聞き、久しぶりに血が騒いだ。
「病気がなければ、応援に行きたい。復活当選があるかもしれないんだろう。社民党最後のチャンスだ」
●今度こそ社民
県内でも労働争議が相次いだころ、1975年までの6年間、電電公社(現NTTグループ)の労働組合・全電通県支部の委員長だった。社会党(現在の社民党)をずっと支持してきた。
肺気腫は「労組委員長の職業病だ」と思っている。毎日のように、企業幹部と団体交渉があった。団交中は勢い、たばこを吸ってしまう。
それが終われば、労組の仲間と飲み屋で、たばこを片手に酒を酌み交わし、雀荘(じゃんそう)で夜を明かして、また吸った。
1日に60本。肺気腫はたばこが原因かわからない。仲間と労働者の待遇改善に取り組んだ証しのような気がする。
今回の総選挙では1、2区の民主候補を社民が支援し、3区の社民候補を民主が応援する。民主票が乗れば、比例区での復活当選の可能性があると社民陣営は見込む。
須藤さんは1区で民主候補に「選挙協力」で投票するつもりだ。「今度こそは社民に当選してほしい。でも本当は民主に入れたくないよ」
その須藤さんも社民党の政策となると、ピンと来ない。戦争で友人や兄を亡くした。だから、「憲法9条を守れ」はわかる。でもほかの政策は、「よくわからない」。
社会党は60〜70年代の一時期、県内では県議十数人を擁し、参院議員と複数の衆院議員を抱えた。労組だけでなく、農家が組織した「農民組合」を巻き込んでの得票だった。
集団就職で上京した子、冬場の出稼ぎで工事現場に出る父、農家出身の労働者を支援したのが社会党だ。農作物の最低額保障も打ち出していた。社会党の政策は、農家にも支持された。戦後から高度成長期まで、農家は必ずしも強固な自民支持層ではなかった。
だが、自民党が農協共済を抑え、農家の財布を握ったことで、農村票は切り崩された。労働運動も低迷を続ける。
●わずか5項目
社民党県連合と民主党県連は23日、選挙協力を正式に決めた。だが双方の幹部が交わした政策協定の文書には、わずか5項目が盛られただけだった。
「あいまいなのは仕方がないですよ」。県教職員組合の菅井道也委員長はそう話す。県教組は元々、社民党支持だ。
「改憲含みの民主と護憲の社民では憲法に対する見解だけでも大きく違う。すり合わせなんかできるはずがない」
それでも、県教組も民主支援に動きそうだ。「民主と社民で一致するのは『反自民・反小泉』だけ。政策は一致しないからベストはないが、自民と民主どちらがベターかという問題だ」。支援に傾く理由を打ち明ける。
96年に党名を変えて以来、初の県選出国会議員を出したい社民党。だが、農家と労働者の双方を引きつけた社会党時代との変わりように違和感を抱くのは、須藤さんだけではない。