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〈修復の行方:1〉再起 奈落から目指す古巣

2007年06月28日

 「離党の身になったが、自民公認と同じ扱いと決定していただいた。一歩一歩頑張っていく」。17日、岐阜市であった藤井孝男氏の事務所開きで、藤井氏は党関係者ら約1000人を前に切り出した。ここに至るまで、2年近くが必要だった。

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集会に向かう藤井孝男氏。2年足らずで、周囲は一変した=岐阜市で

 郵政造反組として岐阜4区で戦った05年衆院選は、当選した衆参合わせて過去7回の選挙とは全く雰囲気が違った。郵政民営化に賛成か反対かの二者択一。当時の小泉純一郎首相が「刺客」として可児市に入り、地盤の美濃加茂市では「ここの鬼を退治しにきた」と自民党議員が演説した。

 自民公認の金子一義氏(64)との差は日に日に広がった。「負ける選挙とは、こういうものなのか」。落選して最初の思いだった。

 参院で3回当選後、衆院議員に転身し、97年に運輸相として第2次橋本改造内閣に初入閣。03年には党総裁選に立候補して小泉氏らと争うなど、階段を順調に上がってきた。だが郵政選挙で、その小泉氏に政治生命をいったん絶たれた。

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 「参院に出ないか」。衆院での返り咲きを目指していた昨夏、党幹部から打診があった。中央では、「ポスト小泉」を争い安倍晋三氏ら3人が、党総裁選に名乗りを上げていた。3人とはいずれも旧知の仲。早期の復党、政界復帰の道筋が見えてきた。

 最終的な決断は今年1月にずれこんだ。造反組の復党問題が二転三転した上、現職の大野つや子氏(73)が3選を目指して、県連に公認申請を出していた。だが、復党を果たさぬまま、大野氏と競合するのは承知で参院への腹を固め、周囲への相談を始めた。

 藤井氏が参院に転身すれば、県連会長を務める金子氏との対立関係も解消する。県連は大野氏を公認、藤井氏を推薦とする方針を固めた。大野氏側は候補一本化を求めたが、聞き入れられなかった。

 大野氏は2月、「伴睦の時代から大野家は県連に世話になった。岐阜に再びねじれは起こせない」と公認申請を取り下げた。無所属ながら実質的公認――。藤井氏の異例な選挙態勢ができた。

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 昨年12月、藤井氏が「一番身近な理解者」といい、郵政選挙で選対本部長を務めた田口淳二・元県議(77)が、次の選挙に出ないことを伝えに来た。自分と同様に離党勧告を受け、復党できぬままの引退。こたえた。

 「構造改革」の名のもと、多くを切り捨てようとした小泉氏。「抵抗勢力」のレッテルを張られた藤井氏は「愛党精神はだれよりもある。イエスかノーかではなく、昔の自民党には、地方を切り捨てない、懐の深さがあった」と言う。

 参院選への立候補表明後、周囲は過熱した。今月4日、名古屋市で開いた政治資金パーティーは、選挙後をにらむかのように、岐阜、愛知両県知事ら中部圏の政財界から約700人が集まった。森喜朗元首相も駆けつけ「近いうちに自民の屋台骨を背負う1人」と持ち上げた。

 議員バッジのない間のことを、藤井氏は「総じて私に肯定的だった人々が、すっと引いていった」と振り返る。反対に、政界復帰を待ちわびて毎日のように事務所に激励の電話をくれる支持者もいた。

 藤井氏は、2年足らずの浪人期間を「これも人生」と総括する。

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 郵政造反組だった議員が自民復党後、県内では初の国政選挙となる参院選が迫った。亀裂は繕えるのか。野党はどう攻めるのか。構図を探った。

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