選挙は朝日で 2007参議院選挙 アサヒ・コム

ここから本文エリア

現在位置:asahi.com2007参院選地方ニュース岐阜> 記事

〈修復の行方:3〉忠誠 重鎮2県議、流転の晩節

2007年07月01日

 年金国会さなかの6月17日、岐阜市であった藤井孝男氏の事務所開きに、05年の衆院選で敵対し合った自民党関係者が一堂に集まった。

写真

藤井孝男氏の事務所開き。坂志郎氏(最前列左から2人目)と田口淳二氏(同3人目)も出席した=6月17日、岐阜市で

 金子一義衆院議員「立派な成績で当選していただき、岐阜県の力を示していただきたい」

 古屋圭司衆院議員「満を持して、藤井先生が国政復帰のスタートラインに立った」

 武藤容治衆院議員「連続当選7回の大先輩。一緒に戦えることが光栄」

 駆けつけた国会議員らが次々と藤井氏を激励するのを、最前列で見守る2人の元県議がいた。

 8期務めた坂志郎氏(76)と7期務めた田口淳二氏(77)。「無所属の藤井さんを一体になって推してくれる。ようやくここまできたか」。2人は県政自民クラブの重鎮だったが、4月の県議選に立候補せず引退した。

 藤井氏ら郵政造反組が党の公認を得られず、無所属で戦った衆院選では、県連も未曽有の混乱にあった。坂氏と田口氏は議員生活の晩年に、その混乱に巻き込まれた。

   ■  ■

 県連公認――。衆院選前、県連は郵政造反組の野田聖子氏(岐阜1区)、藤井氏(4区)、古屋氏(5区)を全面支援するため規約を変更し、党本部が公認しなくても、県連として公認するという手法を採用した。坂氏は当時の総務会長。「無所属の候補を自民党の県議や市議が堂々と応援するのは、筋が通らないと判断した」と話す。

 他県でも、郵政民営化を掲げた当時の小泉純一郎首相に同調した「改革派」と、地方の過疎化を懸念する「抵抗勢力」との党内対立の中、造反組を実質的に支援した県連はあった。しかし、党本部から県連公認という手法が問題視された。

 衆院選の約2カ月後、当時の武部勤・党幹事長は「岐阜県連は一貫して倒閣運動を行った」と批判し、坂氏ら4人に離党を求めた。

 衆院選の時に県連幹事長だった猫田孝県議ら2人は自主的な離党を選んだが、坂氏と田口氏は「間違ったことはしていない」と拒んだ。「もともと引退を決めていた。ならば、自分の思いを通そうと思った」と坂氏は振り返る。

 党本部は昨年1月、党紀委員会を開き、坂氏と田口氏を離党勧告処分にした。党紀委員会が地方組織幹部を処分したのは初めてだった。2人は勧告を受け入れ、離党届を提出。12月20日、離党中に、引退を表明した。

   ■  ■

 周囲は重鎮の名誉回復のため、復党を勧めた。「小泉、安倍首相の自民党に戻りたいという思いはなかったが、藤井さんを国会に戻すためと説得された」と坂氏。田口氏も「かぶりを振ってもよかったが、党の円満のためにと言われた」。

 猫田氏ら2人が復党したのに続いて、坂氏と田口氏は今年1月末、復党願を党本部に提出。2月に了承され、復党を果たして引退した。

 県連は今回の参院選を「(衆院選の党本部との)ねじれを解消し、一枚岩であることを示す場」と位置づける。しかし、次の岐阜1区の公認問題など、火種は残ったままだ。

 野田氏復党前の昨秋、ある県議が「(佐藤ゆかり氏と)2人の生き残る道を示してほしい」と、来県した中川秀直・党幹事長に直訴した。中川幹事長は「わかった」と答えたが、県議は「わかっていなかった。この混乱は党本部が引き起こした。国会議員のために地方議員がいるんじゃない」と憤る。

 坂氏は言う。「権力を握ったものが勝ち、恩をあだで返すこともある。人生はさみしい」

このページのトップに戻る