「ボン、ボン、ボン」。遠くから漁船のエンジン音が近づいてくる。26日の午前10時過ぎ。牟岐町の漁港に、長岡弘和さん(35)が操縦する「戎(えびす)丸」が帰ってきた。
「あかんね、ほんまに」
水槽から25〜30センチのカンパチ4匹を網ですくい上げながら言った。前日、近くのポイントに小型定置網を仕掛けたが、売り物になるのはこれだけ。漁協の職員がその場で計量し、いけすに放した。
夏場はイワシやアジの時期だが、5、6年前から見かけなくなった。小魚をねらうカンパチやタチウオ、カツオも取れない。「結婚して子どもがいたら、やっていけん」
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牟岐町漁協の漁獲量は、20年ほど前から減り始めた。温暖化が原因だ、と言う人もいる。92年に1288トンあった組合の漁獲量は、昨年は254トンにまで減った。この間、アワビ、ハモ、イセエビ、アオリイカ、イサキといった魚介類の単価は3〜7割落ち込み、漁師の高齢化もあって水揚げ高は7億9千万円から2億6千万円になった。
「30年前は年収1千万円も珍しくなかった。なんか、夢みたいやな」。田中幸寿組合長(65)が懐かしむ。船の燃料や網の売れ行きも悪い。組合の手数料収入は減り、代金滞納も少なくない。
5千人ちょっとの町は4割が65歳以上。組合員約160人の平均年齢は60代半ばだ。亡くなったり、高齢のため脱退したりで、この5年間に50人減った。長岡さんら20〜30代は10人ほどしかいない。
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「漁師はやめとけ」。高校卒業前の長岡さんに、父親(66)が諭した。毎日1人で漁に出て、汚れた網を洗う父親の姿は大変そうだった。ただ、継いでほしいと思っているのはわかっていた。大阪などでいくつか仕事を変え、23歳で実家に戻った。
「親子船」で漁を手伝いながら、1人でもできる自信がついてきた。毎日違う表情を見せる海。ずっと漁を続けたいと思った。そんな矢先、昨年8月末に父親が交通事故に遭い、自由に動けなくなった。
いざ、1人で漁に出たら、自信がいっぺんに吹き飛んでしまった。漁場に着いても、どうしていいか分からないことがある。まだまだ経験が浅かった。「若いもんが頑張らなあかんぞ」。他人事(ひとごと)のように聞いていたベテラン漁師の言葉を、重く感じるようになった。
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同世代の漁師仲間に呼びかけ、今年から20〜30代の8人ほどで2週間に1度集まることにした。決まった議題があるわけではない。漁師同士は意外とすれ違いが多い。だから、漁を通じて気づいたことを情報交換し、将来を考えるきっかけにしたかった。
7日の午後、漁協事務所の2階に長岡さんら3人が集まった。関西に遊びに行った時の話、遠距離恋愛の近況……。テーブルに広げた菓子をつまみながら、最後はこの夏の不漁が話題になった。
「一日沖に出ても、千円になるかならんかや」。一人がこぼす。長岡さんが口を開いた。「禁漁期間を設けて、育てていくことが大事やと思う。一時的には漁が減るけど、きっと返ってくる。『今』だけ見てたらあかん」
別の仲間が、ふと言った。「選挙のマニフェストに、漁業のことって書いてるか?」。どうだったかなというように、長岡さんたちはしばらく考え込んだ。
(水沢健一)