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福島3区・4区 主な候補者の横顔

2009年8月21日

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(敬称略。届け出順。年齢は投票日現在)

◆3区

●若き日の「失敗」が出発点 吉野正芳(61) 自民・前

 ある強烈な経験が、政治家を志す原点になった。「私の判断ミスで人を一人、殺してしまったんです」

 大学卒業後に就職した家業の木材会社。120人の従業員をまとめる労務担当部長だった。貯金をして買った念願のマイホームで一人暮らしをしていた働き者の男性社員がいた。酒が好きで偏った食生活もたたって肝臓病を患ってしまう。ある日医者に呼ばれて頼まれた。「社員寮に入れて、生活習慣に注意してやってほしい」

 だが断った。家まで手にした一人前の男が自分を律することができなくてどうする。「酒をやめてちゃんと飯を食え」。そう諭した。だがその後、男性が噴水のように吐血して亡くなるのをみとることになった。

 「世の中には意志が弱い人もいる」と痛感。この体験が福祉の課題にライフワークとして取り組むきっかけになった。

 木材がらみで林業や環境問題への関心も高く、環境副大臣も務める。週1回、大臣や官僚トップの事務次官らとともに議論の場も持っている。「決して今でも官僚主導にはなっていない」と民主党による脱官僚の訴えに反論する。

 昨年2月には「地球環境国際議員連盟」の一員としてブラジルであった違法伐採の国際会議に参加。議長も務めた。「英語が話せなくても同時通訳がいたから大丈夫。カクテルパーティーではダメだったけどね」と笑う。強行日程のためアマゾン流域の森林地帯を見られなかったのが心残りだという。

 趣味は時代劇鑑賞。最近、自宅で専門チャンネルの視聴が可能になった。いま凝っているのは里見浩太朗主演の「闇を斬る! 大江戸犯科帳」。50の手習いで妻とスキーや山登りも始めた。磐梯山には毎年登る。2男2女の父親でもある。

●早朝の読書、洞察力も養う 玄葉光一郎(45) 民主・前

 衆院の議院運営委員会で筆頭理事を務めるなど多忙な日々の合間を縫い、努めて自らの時間も大切にしてきた。

 楽しみは、朝5時に起きての読書。年間50冊ほどは読む。最近読んだのは、山本周五郎の「ながい坂」。一歩一歩、踏みしめながら目標に到達することの大切さを感じた。池波正太郎の「黒白(こくびゃく)」では、物事は簡単に黒白をつけられるものではない、という深い洞察に考えさせられたという。

 4年前の総選挙の時は党の選挙対策委員長だったが、自ら本人や家族を説得して出馬にこぎつけた候補者たちが次々に落選した。幹事長代理だった06年には、偽メール問題の対処にも苦慮した。それだけに、「この4年間はいろいろな意味で蓄積をしよう」との思いが強かった。45歳と国会議員の中では若手だが、「厳しいことやつらいこと、失敗も経験してきた。ちょっとのことではへこたれない」と自負している。

 目立ちたがり屋ではない、と自己分析する。「民主党には目立ちたがりが多いですけどね」。小学生のときには児童会長になれと言われたが、「人前で話すのは嫌だ」と涙を流して断ったのだとか。地位や肩書にこだわらないからこそ、実直に政治活動ができるのが強みだと思っている。

 悲願の政権交代を視野に、支持者からは「次は大臣」との期待も大きいが、本人は「本当にこだわらない。下働きでもかまわない」とあくまで冷静だ。

 議員ら約50人で毎月開く「映画を観て語る会」では河村建夫官房長官とともに代表を務め、政治は抜きに作品を語り合う。映画館やジム通いも気分転換の一つだ。「誤解しないでほしいんだけど、暇なわけじゃないですよ。時間の取り方の問題です」。妻と1女の3人で暮らす。

◆4区

●小5の夏休み、決意の原点 小熊慎司(41) みんな・新

 衆院議員任期満了まで3カ月を切った6月、古巣の自民党を離れ、「自民対決」が固まっていた4区へ割って入ることを表明し、周囲を驚かせた。

 「会津の閉塞(へいそく)状況を何とかしなければと思った」と語り、その後、渡辺喜美元行革担当相が立ち上げた「みんなの党」に合流。二大政党の政権選択が争点となる中、「自民は官僚、民主は組合依存」と批判し、「真に脱官僚、地域主権を進めていくのは自分たち」と訴える。

 政治家になると決意したのは、30年前の小5の夏休みにさかのぼる。国際児童年にあたり、TV番組で、世界にはわずかなお金で買えるワクチンがなく、死んでいく子どもたちがいることを知った。一緒に見ていた母親に「郷土の偉人、野口英世博士のように医者になって子どもたちを救いたい」と言ったところ、「野口博士になるのもいいが、博士を支援する側の仕事も大事」と言われた。当時、それが何かという話にはならなかったが、子供心に政治家ではないかと思い始め、「総理大臣」が夢になったという。

 大学卒業後、新井将敬と地元の斎藤文昭というタイプの違う2人の衆院議員の秘書を経験し、新井からは「筋を曲げない信長のような突破力」、斎藤からは「私利私欲なく、他人へ尽くすこと」を学んだと語る。

 その後、会津若松市議1期、県議を2期半ばまで務めたが、何をするにも霞が関に陳情に日参する政治の現実に直面し、「根っこの官僚主導を変えていかなければ、年金も医療改革もない。既存政党では無理だ」と思うようになったという。

 高校の合唱部で知り合い、文通6年の末、結ばれた妻との間に子ども3人。たまの休みにパスタなど料理に腕を振るい、子どもたちの笑顔を見るのが何よりの楽しみだ。

●選挙カー乗ると元気出る 渡部恒三(77) 民主・前

 連続13回当選、言わずと知れた民主党最高顧問、「平成の水戸黄門」だが、「今回ほど手応えを感じることはない」という。「これまでは、『党より恒三さん』で、民主なんて言ってくれるなと言われた。だが今回は、南会津の農家のおばちゃんが走ってきて、『民主党がんばれ』『政権交代頼む』だ。政策がこれほど国民に関心をもたれた選挙は初めてじゃないか」

 自民党・竹下派の「七奉行」の一人に数えられ、厚生、自治、通産相を歴任したが、二大政党制を志し、小沢一郎氏らと自民党を飛び出した。「自民党に残っていれば、森君や小泉君より先に総理大臣になっていた。だが総理に1年なるより、二大政党制を実現した方が、日本の政治により大きな功績を残すと思った」と振り返る。

 雪深い南会津に生まれ、冬季は交通が遮断される駒止峠に、トンネルを掘りたいと思ったのが半世紀前。26歳で県議となり、当時、国から県の道路課長に出向してきていた建設官僚に田中角栄の存在を知らされ、目白の田中邸に陳情に行ったと懐かしむ。「昔も今も、地方に元気を出すことが政治の大事な役割。小泉君がやった三位一体の改革は、改革に名を借りた地方切り捨てだ。自民党も分かっていて、麻生君になって路線を修正しているが、明確に『間違っていました』とも言えず、分かりにくいんだなあ」

 選挙後の自らの役割を、政権与党として経験のない民主党の「相談役」と位置づけ、政治家としての集大成と意気込む。特別な健康法はないが、会津高校の生徒会長選や早稲田大学の雄弁会、県議選も含めると、20回近くなる「選挙」が、どうも体にいいらしい。「なんだかあの選挙カーに乗ると元気出ちゃって」と、ちゃめっ気あふれる独特の会津弁で笑った。

●大病を克服「深み増した」 渡部篤(57) 自民・前

 自民党に逆風が吹き荒れる中、「市場原理主義からの脱却、地方交付税の復元」と、小泉構造改革路線との決別を誓う。「カネがカネを生むような政治はやめ、地域住民の要望にこたえる草の根保守政党の原点に返るよう、命を燃やす」

 地元の商業高校を卒業した際、上京する多くの同級生を「蛍の光」が流れる会津若松駅のホームで見送った。彼らが地元で勉強し、働き、子どもを育てられるふるさとを作りたいと思ったのが、政治家を志したきっかけ。批判される公共事業も、道路整備など「地方にはまだまだ必要」と力が入る。

 大学卒業後、八田貞義衆院議員の秘書を経て、30歳で会津若松市議に。市議2期、県議を4期半ばまで務めたが、地方交付税や過疎対策など「国会議員でなければ、真に地方のために働けない」と、前回衆院選で転身。渡部恒三氏を約6600票差と脅かし、比例復活ながら会津に自民の議席を取り戻した。

 一昨年冬、脳卒中に襲われた。都内の病院で磐梯山を思い浮かべ、涙する毎日だったが、執念のリハビリで半年後に復帰。今も左半身にマヒが残るが、そこは政治家だ。「誰よりも元気だった自分が、病気や障害のつらさを心底味わい成長させてもらっている」と人間として深みが増したことを強調。演説ではのっけから「みなさん、篤のこの姿を見てください」と始め、弱者への目配りをアピールするのが恒例となった。

 趣味は、県議時代から10年以上も続けるHPへの書き込み。意見の違う多くの人との議論の場と位置づけ、「政治家に必要なのは総合的教養」と語る。思い入れが強い分だけ、他の候補が最近始めたブログなどには手厳しく「選挙目当てだろうが、薄っぺらなものはすぐ分かる」と批判した。

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