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〈09総選挙〉最前線・新潟1区

2009年8月21日

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■1区の候補者

 (届け出順 年齢は投票日現在。年齢のあとのカッコ内数字は当選回数。[比]は比例区と重複立候補。〈 〉内政党は推薦)

西村智奈美 (42) 民前(2)[比]=〈国〉

武田勝利  (45) 共新[比]

松本弘司  (49) 諸新

吉田六左エ門(69) 自前(3)[比]=〈公〉〈改〉

●西村氏 「無駄解消」こだわる

 18日夜。新潟市東区の公園であった盆踊り大会に、民主前職の西村智奈美氏の姿があった。ほろ酔いの中年男性が話しかけた。「政権交代というが、民主党と自民党の差がよくわからん」

 「政策、わかりにくいですよね。でも税金の無駄遣いをなくそうとしているのが民主党」と西村氏。すぐ、持ち歩いているマニフェスト(政権公約)を手渡し「読んでみて下さいね」と声をかけた。

 西村氏はきまじめにマニフェスト、政策論を重視する。特に、予算の使い方、無駄遣い解消にこだわる。

 原点は、新潟大法学部時代にある。多賀秀敏(現早大教授)ゼミで政治学を学んだ。「政治とは、政策や予算の優先順位を公開の場で決めること」。この言葉を、西村氏はたたき込まれた。

 12日に同市内で開いたマニフェスト説明会には、恩師の多賀教授が駆け付けた。「高速道路の無料化は賛成しないがマニフェストは良くできている」。約4分間の話の大半は、地方分権や官僚の天下り禁止などのマニフェスト評価に費やされた。

 3期連続の当選を目指す。毎回、都市部の無党派層の票を取り込んできた。ただ、無党派層の票は当日まで読めない。「相手も必死。気は緩められない」

●武田氏 比例票上積み意識

 20日、若者が数多く集まる中央区の万代シテイ。共産新顔の武田勝利氏の応援に、市田忠義書記局長が駆け付けた。支援者が熱心に話を聞く傍ら、立ち止まって耳を傾ける若者の姿も見られた。市田氏が「小選挙区で共産党に入れるのは怖いという方は比例区だけでも共産党に」と呼びかけると、武田氏も横でうなずいた。

 自分の選挙区のみならず、村上市や長岡市など、活動範囲は幅広い。党に投票してもらう比例区を意識してのものだ。街頭演説でも「選挙は『2回』ある。比例区は共産党を」と連呼する。自分は重複立候補しているが、順位は3位だ。

 陣営によると、12日間の選挙戦のうち、選挙区外に出る日は5日。前回の05年、比例北陸信越ブロックは北関東ブロックに次いで共産が善戦した選挙区といい、武田氏本人は比例区では「40万票を目標に、何としてもここで議席を奪還する」と意気込む。

 武田氏の父親は、武田氏が6歳の時に亡くなった。家庭は生活保護を受けていたが、武田氏が新潟大に入学し、奨学金を受けるようになったことで生活保護が打ち切られた。「こんな理不尽なことが許されていいのか」と、政治活動を始めることになった経歴を持つ。

●吉田氏 首相との「友情」強調

 自民前職の吉田六左エ門氏は新潟市内で18日に開いた出陣式で「退路を断って、生き残りをかける」と、左腕を突き上げて誓った。選対本部長も「最後の戦いになるかもしれない」と述べた。自民党への強い逆風があるからだ。

 ひときわ目立つのは麻生首相との「友情」の強調だ。首相とのポスターのエピソードをよく話す。「後援会長に『日本一評判の悪い人と、何で一緒に』と言われた」。街頭演説でも「経済対策は(党財務金融部会長の)おれと麻生でつくった」と訴える。派閥も違うのに、なぜここまで首相をたてるのか。

 吉田氏は03年に落選。返り咲きを狙った05年の総選挙では、当時総務相だった麻生氏が公示後の週末、新潟市に駆け付けた。「浪人だったのに、真っ先に駆け付けてくれたことに恩義を感じているのだろう。吉田は義理堅い性格。(自分も助けてもらったので)支えようという気持ち」と、周囲は話す。

 吉田氏は初当選した頃、仲間を見つける狙いもあり、様々な議員にあいさつをして回った。そこで麻生氏と知り合ったが、個人的にウマがあい、よく飲みにいったという。

 吉田氏はきっぱり言う。「麻生が駄目なら、私も、自民党も、終わりだ」(高木真也)

      ◇

 総選挙は早くも、終盤さながらの熱気だ。各選挙区の主な政党公認の候補者はどのように、自分を理解してもらおうとしているのか。1区から順に最前線を見る。

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