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候補者はこんな人 岩手1区

2009年8月25日

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 (届け出順。年齢は投票日現在。カッコ内数字は当選回数)

◇「母」優先、思い伝える 高橋比奈子氏(51) 自新

 祖母、父と地方議員の家庭に育った。家には貧しい人や病気の人が訪ねてきた。一人一人、親身になって相談に乗る父たちの姿をみて、「困っている人たちの声を代弁したい」と、盛岡市議、県議を計14年間務めてきた。

 総選挙への立候補を決めたのは、息子たちの「僕たちのためにみんなのためになることをやめないで」という言葉だった。

 政治家として多忙な日々だが、「母親」であることを最優先している。毎日弁当をつくり、息子を家から送り出す。朝は街頭活動もしたかったが「母親としての私に代わりはいない。それ以外の時間で精いっぱいやってきた」。

 プロ野球の実況中継を夢見て、アナウンサーになった。95年から議員に転身。「思いを伝える」という目的は変わらない。「言葉に魂をのせて訴える」と、選挙活動でも運動員に頼らず、出来る限り自分の声で語りかける。

 健康管理には人一倍気を使う。地元の野菜を食べ、栄養をたっぷりとる。新型インフルエンザの流行については、「私は絶対かからない。ただ、スタッフがかからないように努めたい」と話す。

 情にもろくて「人が悲しいとつい泣いてしまう」。「雑草のように強い岩手の女の心意気」で笑顔で街頭に立つ。

◇平和のため、演説800回 吉田恭子氏(28) 共新

 高校1年生の時、広島で開かれた原水爆禁止世界大会に参加した。「国内にも核兵器が持ち込まれている」と、米軍基地のある山口県岩国市の活動家から聞き、ショックを受けた。平和のための仕事をしたいと思い、18歳になるのを待って共産党に入った。

 だが、「政治家というかたちは考えていなかった」。今も人前で話す時は緊張するが、昨年9月の立候補表明から約1年、800回以上の演説を繰り返した。日焼けした肌をみて、「写真とずいぶん違うね」と言われることも。「勲章と言ってもらえるとうれしいけれど……」

 性格は「あまり冷静なタイプではない」。人のことでも話を聞いているうちにかーっとなってしまうことも。「よく言えば、気持ちに寄り添えるタイプ」。友人からは「もう少し周りを見てね」とも言われる。

 県内の候補者で最年少の28歳。「若さ」に期待が集まるが、「経験も含めてまだまだ。もっと努力しないと」と、白いジャケットとスカートにピンクのたすきで選挙区をかけまわる。

 昨年3月に結婚した夫と義母との3人暮らし。忙しさに家事は義母に頼ってしまう。「夫に『おいしい』と言ってもらえる料理をつくれるようになりたい」

◇政策派、こつこつ仕事 階猛氏(42) 民前(1)

 身長181センチ。すらりとした長身だが、人と話すときは、見下ろすような印象を与えないよう気遣う。「あんまりぺこぺこしてもだめですけど……」と苦笑いする。

 東大卒、銀行員、そして弁護士と、端から見れば「エリート人生」だが、決してすんなりときたわけではない。

 盛岡一高時代に所属した野球部では、練習についていくのに必死で成績も下がった。「あの頃が一番きつかった」。今もつらいときは当時を思い出し、自分を励ます。

 入行した日本長期信用銀行は98年に経営破綻(はたん)。渦中で行員として、問題を先送りする銀行の体質を目の当たりにした。だから、政治家としてのモットーは「できることはすぐに解決する」。

 政局よりも政策派と自任する。2年間の議員活動で法案づくりにかかわり、与党との100時間以上にもわたる議論にも参加。「目立たない努力をして、目立たなくても少しずつ向上していく」という岩手県人への評価は、「こつこつと仕事をして役に立ちたい」という自身の姿とも重なるという。

 尊敬する政治家はオバマ米大統領。「分かりやすくて説得力がある」。周囲から「顔が似ている」とも言われるが、「自分は比べられるようなレベルじゃないですよ」。

◇平和と護憲、こだわる 伊沢昌弘氏(62) 社新

 平和と護憲にこだわり、憲法擁護県連盟の議長を務める。「戦争の反省に基づいてつくられた憲法は、たとえ他国からの押しつけだったとしても変えるべきではない」。原点は、父親の戦争体験だ。

 大学卒業後、3年ほど企業に勤務し、県職員に転じた。公害行政に携わって企業を行政指導する立場になり、「利益追求」と「環境保全」のはざまで「お互いが理解しあわないと解決できない」と、根気強く調整に走り回る一方、職員組合に参加。やがて、社会党から盛岡市議、県議選に立ち、政治への道に足を踏み入れた。

 出征した父は70を過ぎて認知症になった。家の近くの泥川に飛び込み「敵機来襲」と叫んだ。「戦地からとにかく生きて帰ってきたかった」と話す父に、若い頃は「腰抜け」と反発を感じることもあった。だが、心の底にいつも戦争体験が潜んでいたことを改めて知り、「戦争は二度とやるもんじゃない」という父の口ぐせが身にしみた。

 「自分には努力しかない。そして誠実でいることだ」。人見知りを克服し、選挙戦に挑む。倒れた母に代わって中学生の時から家族の食事を作っていたため、料理は「新巻き鮭(ざけ)も作れる」という本格派だ。「生きるために覚えただけ。お袋に感謝しないと」

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