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〈決 09衆院選〉激戦区ルポ・鹿児島2区 保徳戦争の影、消えず

2009年8月25日

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<2区>

徳田毅   38 自前

神村みふ子 64 諸新

打越明司  51 民新

◇奄美で自・民綱引き

 「奄美が一つになった。今日をもってこれまでの時代に終止符を打ち、新しい時代の扉を開くことができた」

 公示日翌日の19日夜、奄美市名瀬の公園。自民前職の徳田毅氏が上気した顔で叫ぶと、集まった支持者は太鼓や指笛を鳴らし応えた。

 壇上や会場には、1区に立候補した自民前職の保岡興治氏(70)と自民元職の園田修光氏(52)、医療法人・徳洲会理事長の父虎雄氏(71)のそれぞれの事務所元幹部や支持者が入り交じっていた。会場の最前列にいた女性(77)が笑顔で言った。「戦争はきつかったけれど、今夜みんな忘れてしまったよ」

 「戦争」とは、「保徳戦争」を指す。保岡氏と虎雄氏が中選挙区時代から奄美を中心に繰り広げた激しい政争のことだ。小選挙区になっても2区で園田氏が保岡氏の基盤を引き継ぎ、徳田氏が父親の後継として立ち、争いは前回の05年衆院選まで続いた。

 異変は06年末に起きた。「政策を実現するため」と徳田氏が初当選の約1年後、反目してきた自民に入党したのだ。陣営は集会のたびに「戦争の終結」を強調。07年の参院選以降、徳田氏と保岡氏は何度となく手を握り合って融和をアピールしてきた。

 「戦争」では、候補者の尾行や選挙事務所の見張り小屋設置、中傷、脅迫、買収、選挙賭博と、ありとあらゆる違法行為が繰り返され、逮捕者も出した。

 「想像を絶するすさまじさだった。おいそれと水に流すことはできない」

 徳洲会幹部を務めたこともある奄美市議(57)はこう述懐する。25年にわたり虎雄氏に仕えてきたが、7月末、民主に移った。「裏では徳田氏の自民入りを許せずにいる徳洲会支持者は相当の数になる」と明かす。

 龍郷町の男性(70)は「悪名高い『奄美の選挙』で、奄美の心はぐちゃぐちゃに切り刻まれ、島人(シマッチュ)は分裂させられた。あんな経験はもうたくさんだ」と話す。

   ◇   ◇

 「どれ一つとっても50年かければできた仕事。打越は必ずやり遂げたい」

 22日夜、民主新顔の打越明司氏は、公示後初めて渡った奄美大島で言い放った。公示直前に民主県連が発表した奄美振興策を記載した独自マニフェスト「奄美群島民に対する約束」のことだ。

 奄美群島振興開発特別措置(奄振)法の予算を地元自治体が自由に使える交付金化し、ガソリン価格を引き下げるなど6項目にわたる政策を掲げた。打越氏は特定地方に向けた政権公約を出すのは「奄美だけ」と強調した。

 戦後米軍に占領された奄美群島が日本に復帰して昨年で55年。この間、復興や振興、自立の名目でつぎ込まれた補助金は2兆円を超える。それでも、奄美群島民の平均所得は198万円(06年度)で国民所得の68%。群島民の人口も今年、12万人を切った。

 県連の青木寛幹事長は「巨費がつぎ込まれながら所得格差が埋まらず、島外への人口流出が止まらないことを考えれば、奄振が奄美のために使われてこなかったことは明白」と言う。

 打越氏の演説を会場で聴いた奄美市の男性(56)は3年前に建設業をやめて農業をしている。「工事の金は島には2割しか落ちず、食っていけなかった」と転職の理由を話す。「約束」について「本当に実現したらすごいことだ。民主にかけてみたい」と語気を強めた。「もう、人から頼まれて投票先を決める余裕なんてないんだ」

 民主の奄美での攻勢に、自民もだまっていない。徳田氏は「たまに奄美に来るだけの候補に、本当の奄美の苦しみがわかるか」と反駁(はんばく)する。

 28万票ある鹿児島2区に占める奄美群島の割合は35%、9万8千票。保守が激しい戦いを繰り広げてきた島でも、民主の風は吹くのか。両陣営が注視している。

(斎藤徹)

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