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〈09政治決戦 ルポ〉神奈川15区 ブランド3代、正念場

2009年8月26日

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◇15区(候補者数4)=届け出順。[比]は比例区と重複立候補、〈 〉内政党は推薦・支持

勝又恒一郎 46 民新 〈元〉県議    [比]〈国〉

西脇拓也  32 共新 党地区常任委員

河野太郎  46 自前 〈元〉法務副大臣 [比]〈公〉

浜田勇作  35 諸新 幸福の科学職員

 「日本を変える 信念と政策があります。」と青と白で染めぬかれた2本ののぼり旗。政党名は書いてない。それらを手にしたスタッフの近くに候補者はいた。

●政党色薄める

 25日午前7時、JR茅ケ崎駅のペデストリアンデッキ。「おはようございます。行ってらっしゃい」と、自民前職の河野太郎氏(46)は頭を下げ、声をかけ続けていた。

 96年の初当選時からマイクは使わない。「朝はうるさいから、地声です」

 同じころ、前回に続いて再挑戦する民主新顔の勝又恒一郎氏(46)は、JR平塚駅西口にいた。「政権交代」と染めたのぼり籏を掲げ、支援者らと党の政策パンフレットを配り続けた。受け取る人も多く、「ここまで政策の中身が問われる選挙は、初めてではないか」と手応えを話す。

 15区(平塚市、茅ケ崎市など)で河野氏は、過去4回の選挙のたびに得票を伸ばして圧勝。平塚や大磯などは中選挙区時代の旧5区から、3代続く「河野ブランド」の後援会がその原動力だ。

 それに加え、河野氏は最近でも、省庁ごとに政策の必要性を判定する、党の無駄遣い撲滅プロジェクトチームのリーダーとして「政策棚卸し」を進めた。衆院の外務委員長として政府側の答弁を活性化させる改革にも着手するなど、「党内改革派」として存在感を示し、15区内の無党派層の支持もつかんでいた。

 その厚い支持基盤の足元でも現在、「自民逆風」が吹き荒れているとされる。

 公示された18日の出陣式。河野氏は「石にかじりついても議席を守り抜きたい」と悲壮感をにじませた。連合後援会の伊藤栄雄会長も「台風に匹敵する逆風だ」と危機感を示した。

 21日夜の個人演説会。河野氏は自民党の下野の可能性にも触れ、「政治を正しい方向に引っぱっていくにはいい野党が必要だ。議席を守り、建設的な野党のリーダーとなって頑張りたい」などと述べ、持論の世代交代と政界再編を訴えた。

 河野陣営の幹部は「自民党の色を薄め、河野の人柄を知ってもらうのに力を入れている」と話している。

●「背中見えた」

 これに対し、前回は10万票以上の大差で敗れた勝又氏は「将来、歴史の教科書に載る選挙だ」と意気込む。

 選挙戦では「政権交代」の風を生かし、勝又氏は連日、自転車で各地を回って街頭演説を繰り返すとともに、マニフェストを配っている。

 出陣式で、勝又氏が「小沢代表代行から(河野氏の)大きな背中が見えてきた。小選挙区で勝って来いと言われた」と紹介すると、陣営は勢いづいた。

 15区で有権者の多い平塚の市長は消費者運動出身の元市議で、茅ケ崎市長も民主の元県議。それぞれ民主も支援して07年春に再選した。03年と00年の衆院選で、比例区の得票は民主が自民より多いが、小選挙区の民主候補の票はこの民主比例票より1〜2万票減っている。

 民主支持層が比較的多い地盤のなか、根強い「河野ブランド」によって、15区では「比例は民主、小選挙区は河野」という、ねじれ現象が続いている。

 勝又陣営はこの4年間、組織作りを図るとともに、元々ある民主支持層を呼び戻そうと街頭活動を続けている。

 公示前の14日。JR平塚駅前で、菅直人代表代行も「ここには変わり者の自民党議員がいるが、いくら変わっていても、自民党の中では何も変わらない」と訴え、勝又氏への支持を呼びかけた。

●比例呼びかけ

 一方、共産新顔の西脇拓也氏(32)は連日、選挙カーで選挙区内をくまなく回る。

 23日午後も平塚市河内のスーパー前で、金のかかる教育の改革などを強調するとともに、志位委員長の立つ比例区への投票を呼びかけた。「(選挙後の)民主党中心の政権に対しては、暮らしを良くすることには大いに協力し、間違った政治には真正面から対決する」と訴えた。

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