(届け出順。年齢は投票日現在。年齢のあとのカッコ内数字は当選回数)
○名刺配り座談会100回 橋本英教氏(42) 自新
「前回は知名度が全くなかったのが最大の敗因と思っている」。4年前の選挙を振り返り、さばさばと言う。「とにかくポスターを張り、名刺を配ることから始めた」。出身地の大船渡から選挙区内で人口が最も多い一関市に移り住み、1年間で100回を超える座談会をこなしてきた。
電源開発から尾身幸次、玉沢徳一郎両氏の秘書に転じ、前回の郵政選挙が国政初挑戦となった。当時は全国的には自民に追い風が吹いたが、「全然感じなかった」という。05年8月8日、小泉首相が衆院を解散。「その夜に尾身先生から電話をいただいた。『3区から出るやつがいない。挑戦しないか』と」。風を読む余裕はなかった。
高校時代は盛岡一高野球部で三塁手だった。「練習がきつかった、というのが思い出」
好きな政治家は、43歳の若さで米大統領になったケネディ。「自分と重ねたかったが年をとった。僕は間に合わなかった」。とはいえ、自民党の小選挙区候補者としては東北で最年少だ。
「塩爺(しおじい)」の愛称で知られる塩川正十郎氏からもらったはがきに書かれていた「疾風に勁草(けいそう)を知る」が座右の銘だ。民主党が強い地域でがんばっている、の意味が込められているという。
○自称「出稼ぎ代議士」 黄川田徹氏(55) 民前(3)
有権者から、民主への期待というより自民への落胆を感じる。「私が何かいう前に『今まで入れたことはないが、今の自民では』と皆さんの考え方が傾いてきた」
幼いころの家業は旅館。「客に出してからでないと晩飯を食えない。午後8時半くらいになると腹が減るから隣近所で食べてくるのは当たり前」という環境で育った。大学を卒業後、「いずれ母の面倒を見なければならなくなる」と、故郷の陸前高田市に戻って市職員になった。
市役所時代は商工観光課で出稼ぎ対策を担当したこともあり、いまは「出稼ぎ代議士」と自称する。
東京暮らしが長くなると地元の話ができなくなる政治家が多い。だが、自分は選挙区の山や海を忘れないとの意味を込める。国政でも「地方自治とか小さな町の振興が居場所」。その言葉通り、4年間の任期中、国会での質問回数は県内議員で最も多く、防災や地方振興などに関する質問が目立つ。
地図を眺めたり、旅行に行って集めた観光パンフレットを眺めたりするのが楽しみ。東京では黒塗りの議員公用車に乗らずに歩くのが健康法だ。青年会時代、敬老会の余興で始めた指笛は、「自分が知ってる歌なら何でもできる」。