代表に内定し、記者の質問に答える公明党の山口政調会長=7日午後、東京都新宿区、上田幸一撮影
「自分自身は参院の立場であります。落選も経験しています。政調会長として選挙の責任の一端があると思っている身でもあります」。山口那津男氏は公明党新代表に内定した7日、記者団にひたすら謙虚に振る舞った。
東大卒業後、弁護士に。90年衆院選へ出馬を要請された時は「最も無縁な世界」と悩んだが、リクルート事件で露呈した自民党の腐敗への憤りが決断を後押しした。それから19年、自公連立のしがらみを断つ重責を担う。
当選同期の北側一雄幹事長とともに「党のホープ」と言われたが、96、00年の衆院選東京17区で自民党の平沢勝栄氏に連続して敗れ、01年に参院議員に転じた。「回り道の人生」と周囲に漏らす。ポスト太田代表の筆頭だった北側氏の落選で、党の非常事態を救う役割が回ってきた。
「弁舌さわやかでまじめな人柄」と評される一方、自民党との政策協議を理詰めで押し通し「堅物」と陰口もたたかれた。論戦力が大事な野党党首として適任との評価がある一方、自民でも民主でもない是々非々路線で党内をまとめる指導力には不安も残る。
創価学会青年部長を務めた太田氏や創価大1期生の北側氏と比べ、学会とのパイプは太くない。「印象は薄い。今後の手腕次第で評価は上下する」(学会幹部)とお手並み拝見の空気も漂い、早くも党内から「衆院は幹事長と国対委員長が仕切る」との声も漏れる。
自公連立の総括から手がけるが、連立を主導した「ご意見番」たちは健在だ。自民党を押し切った「堅物」ぶりを党内でも貫けるか、いきなり正念場だ。(山田明宏)