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《ルーキー:中》河野王国、30代対決

2009年7月26日

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写真所属する党主催の演説会で、壇上から聴衆に頭を下げる衆院選立候補予定者(画像の一部を修整しています)=22日夕、神奈川県小田原市、豊間根功智撮影図表

 全国で唯一、20代の自民と民主の新顔がぶつかる神奈川11区から西に約50キロ。17区では、両党の30代の新顔同士が競い合う。

 「11区と17区は好対照だよ。自民の古い体質を壊してきた小泉さんが息子に跡を継がせ、党内でずっと調整型だった河野さんが大胆に後継指名したんだから」。自民関係者が言う「河野さん」は前衆院議長の河野洋平(72)だ。

 昨年9月の記者会見で政界引退を明らかにした河野は、その場で牧島かれん(32)を後継指名した。

 11区の横須賀市出身で県議の長女として育った牧島は県内の高校から国際基督教大を出て米国の大学院で学び、米共和党下院議員の事務所でインターンを経験。「民主主義のプロセスはどの国も一緒だと確認できた」とその成果を話す。帰国後、慶応大大学院の講師などを務め、07年から早稲田大の客員講師に。ここで特命教授をしていた河野と出会って、見込まれた。

    ◇

 民主が立てたのは松下政経塾OBの神山洋介(34)だ。17区にある湯河原町育ちで大手生保の元社員。辞めたのは入社5年目を前に役職が付く頃だった。職場には年金や医療、介護など、政治が解決すべき社会保障にかかわる問題が身近にあったが、深く考えるには「忙しすぎた」。

 だが、思えば「政治への関心」は高校時代からで、慶応大の卒論は「日米安保」だった。「社会問題への関心をどう形にするのか、考える時間が欲しい」。長女が生まれた03年2月、思い切って会社を辞め、松下政経塾入り。その後、党代表だった前原誠司ら塾OBの話を聞くうちに目標は定まった。

 「自民党的政治を変える」

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 17区での河野の強さは圧倒的だ。当選14回。前回の郵政選挙では神山の前任だった民主候補の2倍近い約17万票を得た。前任者を他の選挙区に転出させた力の源泉は「河野後援会」だ。それを引き継ごうとしている牧島に、河野も手を差し伸べる。

 「混迷の時代に後継として選ぶ基準は年齢や出身地ではなく、未来を真剣に考え、働いてくれるかどうかです」

 だが、河野の秘書を27年務めた小田原市議の相沢博(72)が後援会の内情の一端を明かす。「我々はずっと河野党。今回も河野の顔を立てるために一生懸命やる。ただ、中には『なんで横須賀の人を出さないといけないのか』と言う人はいる」

 16日夜、河野も駆けつけた小田原市市民会館での集会。高齢者を中心に千人を超える人で埋め尽くされたホールで牧島が力を込めた。

 「後継指名を受けてから家族で墓参りに行きました。『もう横須賀には戻りません』と誓いました。この土地に嫁ぎます」

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 選挙区内でポスターを張ることができる32カ所のリストと、多少の書き込みがあった住宅地図のみ――。2年前に17区で公認が内定した神山に前任者から引き継がれた資料は、「河野後援会」の壁の高さを示していた。

 「まるでドン・キホーテ」。家族と知人のつてだけを頼りに活動を始めた神山をみかねて小田原入りした経営コンサルタントの高橋清貴(35)は振り返る。松下政経塾の同期生だ。

 しかし、いまは違う。牧島が小田原で千人以上集めた同じ夜、神山のために湯河原町で開かれた集会も約400人で満席に。小中学校時代の友人たちの呼びかけだ。「今までこの町で民主党のポスターを張ろうとすると『世間体があるから』と断られた。今日は半分埋まればと思っていたのに、満席になるなんて」。地元の建設会社に勤める同級生は感激を隠さなかった。

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 22日午後、牧島はJR小田原駅近くの商店街を握手をしながら歩き続けた。その先の一角にはサロン「かれん’s ルーム」がある。ベビーベッドなどが置かれ、河野後援会とは別に若い世代の支持を広げる狙いで「女性が気軽に立ち寄って話ができる場」として開いた。待機する牧島の教え子、高山ちひろ(28)は言う。

 「大学時代から、今必要なリーダーが身近にいるんだと感じてきた。私たちが知っている牧島かれんを知って欲しい」(敬称略)

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◇神奈川17区

牧島かれん32自新 早大客員講師

神山 洋介34民新 〈元〉松下政経塾生

中野 淳子48諸新 幸福の科学職員

井上 義行46無新 〈元〉首相秘書官

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