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《党首がゆく:公明党・太田昭宏代表》重ねた辛抱 問い直す原点

2009年8月21日

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写真自衛隊のPRイベントでは、ヘルメットや防弾チョッキを着けてみせた=相場郁朗撮影図

 ひと昔を数えるようになれば、およそのことはガタが来る。自公連立10年、きしみもひどいが相手方が政権党の体さえ成さなくなった。連立後6人目の首相たる麻生のもと、公明党は自民党もろとも野党転落の瀬戸際にいる。

 太田は必死である。

 「風雨にさらされてもぶれない。信念を持って前を向く」

 選挙となれば、公明党は支持母体創価学会の力で自民党を助けてきた。今はそれどころではない。党の生き残り、そして太田には自分の当落がかかっている。比例区に重複立候補していない太田は小選挙区で敗れれば後がない。

 心中は複雑だろう。創価学会のエリートコースを歩み、「公明党のプリンス」と呼ばれた太田が代表に就いて3年。首相は安倍、福田、麻生、つまり自民党の衰退に並走してきた。なかなか厳しい巡り合わせである。

 小泉時代は公明党もまだ良かったのだ。巨大与党にあって児童手当拡充といった主張は次々通り、政策に通じる人材も党内に育ってきた。この勢いを次の総選挙につなげる使命を負って、神崎から代表を継いだのが太田だった。

 だが安倍政権で話は違ってくる。焦点は小泉時代の負の遺産に移ったし、改憲を前面にした安倍の主義主張に公明党のそれは本来そぐわない。極め付きは麻生で、早期解散のはずが延ばし放題、公明党や創価学会はひどく当てが外れてしまった。太田は「麻生さんには苦労させられっぱなし」と周囲にこぼしている。

 太田は太田で身内からの批判もあった。なぜガツンと言わない、どうなっているのか、と。麻生については以前に親交がなかったことも災いした。太田にすれば、自公の潤滑油で苦労してきたのにと報われない思いに違いない。

 げたの雪と言われて久しい公明党だが、与党慣れより今では与党疲れの色が濃い。もともと野党の出、自民党に対峙(たいじ)した「福祉と平和の党」である。自衛隊のイラク派遣ひとつ取っても、もろ手を挙げて賛成したわけではない。党の立脚点がぼやけてしまったと内に問う声は党にも創価学会にも少なからずある。この総選挙、その点からも党の転機となるかもしれない。

 地元選挙区は大事だが、代表ともなれば全国を飛び回る。故郷愛知県を訪れた19日夜、太田は支持者の前で創価学会名誉会長池田大作の「立党精神」を引いて語った。

 「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」

 自分の足跡を確かめる響きがあった。=敬称略(山田明宏)

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