緑に染まった水田の間に点在するのは転作作物の大豆や麦の畑だ=佐賀県武雄市、本社ヘリから、溝脇正撮影
佐賀県武雄市北方町。22日、青々と広がる水田と黒い大豆畑を夕立がぬらした。7月の大雨の後に種をまき直した大豆は、苗がようやく20センチほどに伸びてきた。
「米ならびくともせんが、大豆はリスクが大きい」と教えてくれた小池一哉さん(61)は集落の農家約100人で作る営農組合の組合長だ。
組合は去年、水田を30ヘクタール減らし、大豆畑をその分増やして80ヘクタールにした。輸入物におされて米の半値にしかならない大豆に替えたのは、交付金の割り増しへの期待からだった。
「なんで豆を作らんといかんのか」。転作拡大をメンバーに切り出した去年1月、強い反発を受けた。60年代には「面積あたりの米の収穫量日本一」だった佐賀。農家には「米こそ百姓、というプライド」がある。だが、県産ヒノヒカリの入札販売価格は5キロあたり1080円(07年)。10年前より400円も低い。渋るメンバーを「米だけでは収入は減る一方だ。大豆なら交付金が増えるから」と説き伏せた。
交付金の割り増しは、08年開始の「米の生産枠の都道府県間調整」で生み出された。
水田をできるだけ減らして大豆や麦に替えた「優等生」の県には、その分、国が交付金を増やす。逆に「その枠の分で米をもっと作りたい」という県への交付金は差し引く仕組みだ。背景には、適地適作――土地に合った作物を育てることで米偏重の農政を転換しようという考えがある。
生産枠の最大の「出し手」は佐賀、最大の「受け手」は新潟だ。08年、佐賀への交付金の上乗せは8億3千万円になり、転作に励んだ農家に配られた。佐賀が先んじた理由は「地味豊かで平らで排水設備も整っているため、畑に替えやすかったから」(JA佐賀中央会)という。
「大豆より手厚い交付金がつく作物があれば、いつでも乗り換える」と決めている小池さんの気を重くさせているのが「政権交代」だ。
「今の仕組みが変わったら、また騒動せんばいかん」
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集落と棚田が、標高200メートルから900メートルまでの山あいに点在する阿武隈山系の福島県二本松市旧東和町地区。傾斜がきつく耕作に向かない「条件不利地域」だ。2千世帯の半数が農業に携わるが、50年前には980戸あった専業はもう70戸。多くは0・2ヘクタールほどの水田しか持たない。
米の生産と流通を国が管理していた高度成長期には、右肩上がりの米価と「出稼ぎ」が生計の支えだったが、いまやどちらも頼れない。市場の影響を受けるようになった米価は80年代の5キロ1700円から千円に下落。出稼ぎを求められるような仕事もない。「池袋のサンシャイン60を造った」「首都高の柱も、だ」。出稼ぎは遠い思い出だ。
ここで20種類以上の有機野菜を作り、首都圏などに売っている大野達弘さん(55)は「野菜と合わせてやっと他の地域並みになれる」という。
農業を始める人を受け入れたり、地域おこしのNPOをつくったりしている大野さんの下で3年前に研修を受けた関元弘さん(38)奈央子さん(35)夫婦は、ともに農林水産省の元キャリア官僚だ。元弘さんが出向で旧東和町役場に赴任したのをきっかけに移住。0・5ヘクタールの田畑で米やキュウリなどの有機栽培をしながら、奈央子さんは自宅で英語教室を開き、元弘さんは冬場、市内の造り酒屋で稼ぐ。
霞が関にいる時から、山あいでは農業だけで食べていけないと分かっていたつもりでいたが、事態はより深刻だった。「もう田はやれねえ。あんたがやらないか?」とあちこちから声が掛かる。地区の100戸は空き家、200戸はお年寄りだけの暮らしだ。
集落で総選挙が話題になることはめったにない。農政は平場で話し合っているから、山には光が当たらない――関さんの耳には、そんな声がよく届く。