「日米FTA断固阻止!」。緊急集会で民主党のマニフェストを批判し、農協関係者たち約300人が気勢を上げた=東京都港区、越田省吾撮影
「天気はどうにもならない。収穫まで心配は続くよ」
23日、福島県川俣町の山木屋地区。標高500メートルにある0.5ヘクタールの田で菅野源勝さん(61)が稲穂を手にした。日照不足で豊作は望めそうにない。思い出すのは93年の凶作だ。
その年の10月、夏にできたばかりの非自民連立政権を率いる細川護熙首相がヘリコプターで町に視察にきた。「被災農家の対策と米の安定的需給に万全を期したい」。空(から)の穂を手に取った首相がそう語ると、出迎えた300人の農家から大きな拍手が起きた。
だが視察の2カ月後、細川内閣は「米の部分的な市場開放」を決めた。これを機に高い米価を保ってきた食糧管理(食管)制度は崩れる。94年春には農政審議会が食管改革や減反見直しの議論を始めた。翌95年、いわゆるミニマムアクセス米の輸入が始まり、食管が廃止された。
あれから16年。「民主圧勝の勢い」を伝える報道に、菅野さんは「93年も自民が負けて政変が起きた。今回も似ている気がする」と話す。
「一度は民主にやらせてみたい」「それで本当によくなるのか」――農家の一番の心配は、海外から安い米が入り、米価が暴落することだ。
市場開放の記憶は今も鮮やかだ。自民の原田義昭副幹事長(64)は、支援者に政権交代の危うさを印象づけようとこのエピソードを挙げた。「『一度やらせてください』と言った、数カ月の細川政権の間に決められたことをぜひ思い起こしていただきたい」
7月27日、民主が発表したマニフェストで、米国との自由貿易協定(FTA)交渉――原則的に関税を互いになくして貿易や投資を進めようという取り決め――を「締結する」と記したことで、記憶は不安に変わった。
農協は「農産品の輸入が進む」と強く反発。民主が「締結」を「促進」に修正すると発表したのは11日後だった。
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「農業の未来や自給率をどう考えるのか」。農協の全国組織である「全中」の会長経験者で、北海道・新篠津(しん・しの・つ)村で米作りをしている宮田勇さん(74)は、修正後も民主への怒りが収まらない。
「農産物は米国が一番大事にしている分野。FTAとなれば日本農業は壊滅する」
一農家あたりの経営面積は米国が約179ヘクタール。1.8ヘクタールの日本の平均はおろか、18.7ヘクタールある北海道でも10分の1ほどだ。「FTAの影響は試算済み」という宮田さんだが「ショッキングすぎて公開できない」と口ごもった。
一方、同じ村で14ヘクタールの田に作付けしている藤永康夫さん(51)は「大きな流れは止めようがない」とみる。それでも「今は締結に反対。所得補償がなければだめ」という。だが民主の「戸別所得補償」かといえば違う。「財源も農業の将来ビジョンも示されていないから評価できない」
その藤永さんが主に作っているのは「きらら397」だ。新潟産コシヒカリより小売価格が5キロあたり700円安いのに食味は劣らない。北海道の農協連合会「ホクレン」はこれを外食産業に売り込んできた。全国1100店で年3万トンの米を扱う牛丼チェーン「吉野家」のご飯の7割もきららだ。
十分な量が確保できて値段もいい。何より粘りが少なく自慢のたれがよく通る――きららをそう評価する広報担当の木津治彦さんだが、米国で見た光景は忘れられない。南部の平原で行われていた広大な米作りだ。苗床をつくることもなく、種モミを飛行機でまいていくという。米国産の米を食べた担当者は木津さんにこう言った。
「炊き方を間違えなければ日本でも十分にいけますよ」
内憂外患の下、食卓を支える米作りの現場に「政権選択」の時が迫る。=おわり(この連載は茂木克信、宮嶋加菜子、見市紀世子、鈴木剛志、河野正樹、大谷聡、石田博士が担当しました)