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〈宰相の郷から:上〉2派で色分け 今は昔

2010年5月22日

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写真マラソンに参加する岸信夫参院議員(右)と吉井利行県議=4月4日、田布施町

 田布施町で4月上旬に開かれた「たぶせ桜まつり」の田布施川さくら健康マラソン大会。町長の号砲で一斉に走り出したランナーの中に、今夏の参院選山口選挙区で再選を目指す自民党の参院議員、岸信夫(51)と、地元選出の県議、吉井利行(62)の姿があった。2人は、満開の桜並木が映える田布施川沿いを1.5キロ力走。約10分後、並んでゴールした。

 「ひと昔前なら『佐藤派』だった私と(岸信介元首相の孫の)信夫先生が一緒に走ると驚く町民もいただろう」。吉井は語る。

 同町にある吉井の自宅、事務所には元首相、佐藤栄作の胸像や写真などが所狭しと並び、今もさながら佐藤事務所だ。吉井の父公人(故人、元県議)は、佐藤派の「番頭」として、地元を長年守ってきた。「栄作先生は地元に家がなかったから、ここが家代わりで、選挙事務所も置かれていた」。当時子どもだった吉井は、「栄作先生」が地元に帰ってくると、遊んでいた部屋を追い出されたりしたという。「信二さん(栄作氏の次男、元運輸相・通産相)が帰ってきたとき寂しいといけないからそのままにしている」と、今も心遣いを示す。

 「父は、岸信介さんと同級生だった兄を通じて、信介さんから『自分は絞首刑になるかもしれない、弟を出すことになった』と、栄作先生の支援を頼まれたらしい」という。佐藤栄作が衆院選に初めて立候補したのは戦後間もない1949年。議員でもないのに吉田内閣の官房長官に抜擢(ばってき)され、すでに特別な存在だったという。

 53年には岸信介も同じ旧山口2区から立候補。「岸、佐藤で長年地元に大迷惑をかけることになった」と吉井。「あそこは岸、この家は佐藤とすべてわかるぐらい、町内の家は色分けされていた」

 現在の田布施町になった55年以来、佐藤内閣の総辞職直後の72年まで、2人は7回、総選挙で相まみえた。町内の得票は2回は佐藤、5回は岸が上回ったが、2人はいつも2千〜3千票台で競り合い、文字通り町内の保守票を二分する激戦を繰り広げていた。2人の得票合計が7千票を超え、町内の有効票の8割以上を占めたこともある。

 ただ、2人は仲が良く、日米安保条約改定をめぐり、岸が首相を辞任した後の63年衆院選では、佐藤が「兄が落ちてしまう。僕の票を回せないか」と言いだし、吉井の父公人が「そんなことは絶対言ってはいけない」と、たしなめたこともあるという。その後、佐藤は64〜72年に首相を務め、沖縄返還を実現したとして74年にはノーベル平和賞も受賞した。

 吉井は「町民は長年、『岸さんが』『佐藤さんが』と個人を見て投票してきたのではないか。自民党だから、というのではない」という。(敬称略)

     ◇

 岸信介氏と佐藤栄作氏。実の兄弟でもある2人の宰相を生み出したのは、人口1万7千人に満たない小さな町だ。政権交代の大きなうねりが起きた昨年の衆院選でも、県内では4小選挙区中3選挙区を自民党が制し、「王国」の健在ぶりを見せつけた。夏の参院選を前に、足元でその強さの秘密を探ろうと、田布施町を訪ねた。(この連載は福家司が担当します)


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