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〈宰相の郷から:中〉岸支援 青年講話が縁

2010年5月23日

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写真インタビューに答える吹田あきら(あきらはりっしんべんに晃)氏=田布施町

 「これからの日本は、君たち若い者が作っていかなければならない」。岸信介は説いたという。1948年ごろのことだ。

 当時、城南村(現田布施町)の青年団長で、後に町長や県議会議長、衆院議員、自治相も務めた吹田あきら(あきらはりっしんべんに晃)(83)は、戦犯として逮捕されていた岸が郷里に戻っていると聞いて、「日本をどう復興させればよいか教えてほしい」と頼みこんだ。岸は喜び、村での講話を快諾したという。

 村から岸家までは約4キロ。今と違って舗装もしていない砂利道だった。吹田は自転車の荷台に座布団を付けて迎えにいった。送り迎えに2往復。「私も若かった。岸さんは『転ばすなよ』と笑っていた」と吹田は振り返る。

 地域の小学校の裁縫室に、地域の青年30〜40人が集まった。その後も数回、岸は講話に訪れた。岸が立候補したとき、地域は総出で応援するようになったという。

 地元出身で岸の弟、佐藤栄作が衆院選に初めて立候補したのは49年。まだ岸は立候補しなかったため、吹田も佐藤を支援したという。

 しかし、岸が立候補すると聞いて、すでに城南村長だった吹田は東京の佐藤邸にことわりにいった。「君と兄はどういう関係か」。佐藤から問われ、「村長選挙の政治資金も岸さんに出してもらった」と言うと、「わかった。首長はみんな私に来るが、君はしっかり兄を応援してあげてほしい」といわれたという。

 吹田は、合併後の55年に初代田布施町長になると、岸を強く支援。選挙での得票は当初は佐藤の方がずっと多かったが、いつしか岸の票は佐藤と肩を並べるまでに。吹田は佐藤家には出入り禁止になってしまい、訪ねても、秘書に「お帰りください」と追い返されたという。

 60年6月。町は騒然としていた。日米安保条約の改定をめぐり、与野党の対立が激化。改定を進めた岸の故郷の同町では、反安保の学生や労働者らが集会を開き、デモ隊が岸家に向かって押し寄せた。

 デモ隊が岸家に向かっているとの情報を受け、吹田は消防団の演習を思いつく。田布施川周辺に約100人の団員が消防車やホースを出し、デモ隊に、岸家につながる狭い木橋を渡らせないようにした。「当時の消防団は復員者が多く、元気がよかった」。号令とともに竹の棒で襲いかかり、デモ隊が持っていた赤旗を次々と川に投げ込んでしまった。デモ隊は中学校のグラウンドに入り、膠着(こうちゃく)状態となった。警察が仲介に入り、吹田らが奪ったデモ隊の旗を返すと、デモ隊はようやく引き上げたという。

 「岸も佐藤もなく、町民は結束して、町外から来たデモ隊に対抗した。商店もほとんど店を閉じていた」と吹田は振り返る。

     ◇

 その後、吹田は79年、岸の後継として衆院選の旧山口2区に立候補。すでに参院議員となっていた佐藤の次男信二(78)も同じ時期に衆院にくら替えして、同じ選挙区に立候補するようになり、岸、佐藤の後継者同士で「第2ラウンド」が始まった。(敬称略)


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6/16(水) 通常国会閉会
6/24(木) 参院選公示
7/11(日) 参院選投開票

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