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国を大胆に開こう〜世界から人を惹き付ける時代に

津上 俊哉/現代中国研究家

2012年12月31日

 先日TVで、素人のど自慢番組が放映されていた。次々登場する参加者たちが歌うJ-POPは驚くほどうまい。私はそれを呆気にとられながら見ていた。全員が東欧、カリブ、米国、フランスなどの若い外国人だったからだ。

AJWフォーラム英語版論文


 ユーチューブのおかげである。以前から「日本語がマイナー言語なせいで、J-POPの良さが世界に知られない」と残念に思っていたのだが、多くの日本の歌がユーチューブで無償アクセス可能になるや、外国の若者は言葉の壁を乗り越えてJ-POPを習得し、日本のTV番組に出演する機会を得るようになった。漫画・アニメ、「カワイイ」ファッションも世界の多くの若者を魅了している。日本はポップ・カルチャーで世界をリードするポジションにある。

少子高齢化問題に直面

 国としての日本も、いま幾つかの点で世界をリードしているが、こちらは困難な課題に見舞われているという意味においてだ。他の先進国より15年も早く、バブル崩壊とその後の「流動性の罠(わな)」を経験した。いまは世界のトップを切って少子高齢化問題に直面している。日本では、この問題が予想以上のマグニチュードで経済や社会を蝕むことが日に日に明らかになっている。

 いまのままでは、2050年の日本の人口はいまより25%減少し、今世紀末には3分の1にまで減少すると予測されている。このままでは「日本人」は減る一方なため、子供を増やす必要が叫ばれているが、若者の就く雇用の質や収入の低下傾向から考えて、今後も大きな回復は見込めそうにない。

相変わらずの内向き傾向

 一方、日本で暮らす外国人は、リーマンショックと東日本大震災・福島原発事故の影響でだいぶん減少してしまったが、それでも2011年までの10年間に30万人増えて210万人になった。地方の農林水産業や製造業では、すでに「外国人」なしでは成り立たない職場が増えている。

 それなのに、日本社会の「内向き」傾向は相変わらずだ。農林水産業や製造業で働く外国人は、「日系人」以外は依然として「研修生」という不安定な身分しか与えられず、「技術を習得すれば本国へ帰れ」という扱いを受けている。典型的な例は老人介護や看護だ。看護師・介護師の団体は「労働条件が過重な割に処遇が悪いせいで、多くの日本人有資格者が働けずにいる」ことを理由に反対している。「介護要員の処遇を改善すれば、外国人を入れなくても日本人有資格者が仕事に戻れる」というのである。しかし、急速に進む高齢化により老人介護のコストは、それでなくても激増している。さらに多くのコストを負担するだけの経済力が日本にはもはやない。

 グローバリゼーションによる変化が最も浸透しにくい領域が「人の移動」だ。とくに、「外国嫌い」な日本は、少子高齢化で世界の先頭にいるのに、移民や外国人定住者の受け容れで世界の平均からあきらかに後れている。と言うより、欧米先進国のように外国人を受け容れようとしないから、少子高齢化の先頭に立っていると言った方が正確だろう。

 だが、そういう「内向き」傾向はやがて変わるだろう。そうしなくては国も社会も成り立たない時期が遠くない将来に迫っている。

 もっと大胆に外国人を日本に招き入れ、定住・帰化してもらうことが必要だ。むしろ、「必要に迫られて、渋々と国を開く」のではなく、世界から「人を惹きつける」時代にすべきだと思う。それは聞こえの良い小手先の事では済まないだろうが、途を拓かなくてはならない。

 私の頭に浮かぶのは、日本にもう一度、大量の移民が到来するという将来図です。日本はもう一度、百万人以上の移民を受け入れて大混血国家になる。私はその事態を肯定するし、そのときの準備をしておかなければならない。(中略)

 移民を受け入れるとか混血国家になると言えば、必ず「日本文化はどうなるのか」「日本が日本でなくなるのではないか」といった猛烈な反対論が起こるだろう。その気持ちはわからぬでもないが、(中略)日本人のルーツを縄文以前に遡っていけば、地勢学的条件の所産として、実に多様な人種、民族が混血しているのです。北方系もいれば南方系もいる。異民族交流の結果、日本人が生まれ、日本という国ができあがったのです。

 (中略)日本が大混血国家になることは決して悪いことではない。文化の問題も当面は混乱が起こるに違いないが、二世代、三世代と世代を重ねるうちに、新たな日本文化が生まれると思う。坐して衰退する道を選ぷか、あえて活力ある国家への道に賭けるか。私は後者をとります。

 いまから10年以上前に、炯眼(けいがん)を以てこう記した人は誰あろう、石原慎太郎氏だ(「勝つ日本」石原慎太郎、田原総一朗 2000年文芸春秋刊235頁)。石原氏のこの意見には全面的に賛同するが、そのためにも、氏のように近隣諸国とけんかばかりしていては駄目なのである。

対人関係を細やかにする日本語

 「混血」が進む日本は、いまとは変わった姿に変化していくだろう。そうすると、「伝統的」な日本は消滅してしまうのだろうか。歴史、伝統、文化……何かを残さなくて良いのだろうか。

 私は日本語が残れば、日本は日本であり続ける気がしている。日本語は、助動詞や助詞が文の後ろに来るために、文章に多様なニュアンスを加味しうる。敬語表現が発達したのも、この語順による。そういう特性を持つがゆえに、日本語では、相手と己の関係や場の状況に合わせて話し方を選ぶことが容易である。そういう日本語を用いてきたことが日本人の対人関係を細やかで親密なものにした。これを「empathy(他人の気持ちを理解する能力)に長けている」と表現してもよい。日本語は同時に、対人との関係における意見の不一致や対立を好まない日本人の気風も作り上げた。日本人はそのせいで、「集団の空気(雰囲気)」に左右されやすく、自分の意見をしっかりと持てないのが欠点だが、良くも悪くも、それが日本語を使う日本人なのである。

 21世紀の世界は緊張と対立ばかりが目につく。もう少しempathyの気風を広めることはできないだろうか。J-POP、漫画・アニメなどのサブ・カルチャーを愛する世界の若者が少なからずいることは、そういうニーズや可能性があることを示すように感じさせてくれる。少子高齢化問題解決の途を拓くだけでなく、日本流のempathyは世界に広げられることを示すためにも、日本は「外国人」に対して、もっと 前向きに「国を開く」べきだと思う。

      ◇

 津上俊哉(つがみ・としや)1957年生まれ。80年旧通商産業省入省、96年在中国日本大使館経済部参事官 経済産業研究所上席研究員などをへて退職。2003年、「中国台頭」でサントリー学芸賞を受賞。現在、津上工作室代表