朝日新聞アジアネットワーク

コラム AJWフォーラムから バックナンバー>>

TPPに中国排除の意図はない

津上 俊哉(つがみ・としや)/現代中国研究家

2013年5月1日

 最近、日本政府は環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に参加することを正式に決定した。グッドニュースだが、いろいろと懸念もある。交渉に参加することが決まっただけで、加盟できるかどうかは依然、未知数であること、TPP加盟をアベノミクスの「第三の矢」、つまり潜在成長率を引き上げるための成長戦略にしようといった動きが鈍いことなどだ。

AJWフォーラム英語版論文

 ここで取り上げたいのは、日本国民にTPP支持を呼びかけるために、「TPPは価値観を共有する米国との結びつきを強化する」といった説明が見受けられることだ。TPPに安全保障や地政学的な色つけを行い、暗に「中国の台頭に対抗するための同盟強化策だ」と言わんばかりだ。

 いま少なからぬ日本人が中国を怖れる気持ちを持っている。この説明は手っ取り早く彼らを納得させられるかも知れないが、誤っている。

 第一に、TPPを推進する諸国には、中国を排除したり、包囲網を作ったりする発想はない。米国がTPPを推進するようになったのも世界の成長センターであるアジア太平洋経済協力(APEC)地域との経済関係を強化するためである。TPPによってAPEC地域の経済統合の主導権を取り、米国好みの「ハイ・スタンダード」な貿易投資自由化を達成したい、さらにできれば、これによって中国に改革を促したい欲求があるかもしれないが、中国を排除したり封じ込めたりする意図はない。だいいち中国加盟の可能性を排除すれば、TPPの「市場価値(Market Value)」は半分以下に下がってしまう。

ブロック経済時代の発想

 そもそも、排除や封じ込めといった発想は、戦前のブロック経済時代の発想であり、現代の貿易自由化に本質的に馴染まない。いま求められるのは、かつてAPECがウルグアイ・ラウンドの成功に繋がったように、TPPをより広域の貿易自由化に繋げる弁証法的なダイナミズムである。

 TPPを手始めに包括的経済連携協定(RCEP)、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)のようなAPECワイドの広域自由貿易協定(FTA)が成立する見込みが出てくれば、欧州連合(EU)はこれを傍観せず貿易自由化のバスに乗り遅れないようにするだろう。それを機に、暗礁に乗り上げたままの世界貿易機関(WTO)の新ラウンドを再起動させる見込みも出てくる。WTO外で地域的取り決めを推進する大義名分は、そこにある。

 安全保障や地政学的な見地からみても、中国をTPPから排斥する考え方は賢明とは言い難い。そんな党派的色彩が強まれば、日米連合対中国のどちらに付くのか、旗幟鮮明にするように迫られるアジア諸国の困惑は見に見えている。米ハーバード大のジョセフ・ナイ教授も米国の対中政策という見地から、「中国のTPP加盟を検討すべきだ」と提唱している。本当にそうなったら、「TPPに中国抑止の効用あり」と説いている日本の論者は顔色を失うだろう。

中国の加盟はありうるのか

 では、中国のTPP加盟はありうるのか。加盟の得失や可能性を考えてみたい。

 これまで中国では「TPPは先進国向けで、途上国である中国にとってはハードルが高すぎて加盟は困難」という見方が一般的だった。しかし、日米首脳は、2月に日本の農産物保護と米国の自動車産業保護を保留する余地を認め合った。「TPPのハードル」はこれまで言われていたほど高くなく、交渉の余地がありそうだ(その分、「志の低いTPP」になったが)。この点から判断すると、中国がハードルの高さを理由に、最初から「TPPには加盟できない」と、あきめるのは早すぎる。

 では、中国はTPPに加盟する必要、動機があるか。

 いま中国経済は、回復を伝える中国政府の公式統計や西側金融機関のセールストークにもかかわらず、そうとう深刻な状態にあるように見える。4兆元投資政策から始まった向こう見ずな投資ブームは、ファイナンスが追いつかなくなりつつある。また、不効率な投資に大量の資金が投ぜられた結果、資金の回収・再投資の回転が悪くなり、銀行融資以外の新興資金調達ルートである「シャドウ・バンキング」市場では金利が上昇している。しかし、物価や不動産価格の上昇圧力が続いているので、いまは金融を緩和する訳にもいかない。それで投資が減少すれば、反動で経済に下振れ圧力が働くだろう。

 中国経済が中期的に成長を図るためには、生産性(TFP:全要素生産性)を向上させることが不可欠だ。この4年間に急膨張した国有セクターを縮小する必要があるが、先日閉幕した全国人民代表大会では意味ある政策が見出せなかった。最近注目されている「都市化」政策はTFPを向上させる可能性があるが、地方政府の関心はTFPの側面よりも「ニュータウン」建設投資に向いている。総体として見ると、中国経済は「国家資本主義」がもたらす閉塞状態にはまってしまったようにみえる。

 実は、公有制経済の維持と民営化の推進を巡って、中国は過去に行ったり来たりを経験している。

 1990年代末、アジア金融危機のあおりを受けて国有セクターが全面的な不振に陥ったとき、中国政府は「WTOに加盟できなければ中国経済に将来はない」と、「外圧」を利用して難局を乗り切った。同時に、財政難で維持が難しくなっていた公有制経済を縮小し、経済民営化(国退民進)を進める方針も表明した。「経済改革(民営化)」と「開放(WTO加盟)」の双方を進めたわけである。

 その後に外国投資ブームと輸出入の飛躍的増大が起きて経済成長を牽引したことは周知の通りである。WTO加盟はまさに中国経済の危機を救った。しかし、経済民営化の方針は、経済成長により財政難が解消するや、忘れ去られた。WTO加盟議定書(Accession Protocol)には「国有企業の純粋に商業的な運営、政府の経営不関与」を約束する条項が盛り込まれたが、これもいまや空文と化している。

 その後の10年間に起きたことは、公有制経済の巻き返しであり、政府の財力にモノを言わせた4兆元投資政策は、そのフィナーレを飾るものだったと言えよう。しかし、中国は多くの点で市場経済原理から逸脱したことのツケを払わされそうである。いわば、この10年間の「国家資本主義の宴」の請求書が届いたのである。改めて民営化推進の方向に転換しないと、いまの閉塞状態から抜け出すことは難しいだろう。

TPPを「外圧」として利用する可能性は?

 先のWTO加盟の先例から考えても、経済をもう一度民営化する方向に大胆に転換するために、外圧としてTPP加盟を利用することは、あり得ない選択ではない。聞くところによると、10ヶ国が非公開で進めているTPP交渉でも「国有企業」条項が盛り込まれているそうである。しかし、10年前のWTO加盟議定書が効果を挙げなかった以上、今回のTPP協定によって、中国に実効ある体制改革を迫ることができるかも未知数である。確実なことは、方向を転換するという中国政府自身の堅い決意がないと、いかなる約束も空文化し、また元に戻るだけだろうということだ。

 TPP加盟を「外圧」として中国の経済改革を再加速するアイデアには、もっと重大な疑問がある。中国の「民意」が15年前のWTO加盟のときのように「外圧」を受け容れるかという問題である。

 15年前、WTO加盟は国民の憧れの対象であり、願いでもあった。中国が国際ルールに整合し国際社会に合流していかなければならないことについては、国民の間に明確なコンセンサスがあった。

 しかし今は違う。2008年の金融危機とその後の中国経済の劇的回復のあと、「欧米は衰退していく、これからは中国の時代になる」という「大国意識」が国民の間に勃興した。西側流の価値観や市場経済原理には従来のような敬意が払われなくなり、「中国の特色」「中国の国情」を強調する別の思潮が台頭している。

 その背後には、どこの国にも見られる「反グローバル主義」もある。グローバリズムの波に乗って大出世した中国だが、13億国民が均等に豊かになった訳ではない。高成長の恩恵に与(あずか)れなかった人々は改革開放自体を否定している。

 この点で、WTO 加盟を目指した15年前と今は、情勢が大きく異なる。経済は閉塞状態に向かっているが、政府は未だ己の財力と問題解決能力に自信を持っており、外圧を選択せざるを得ないほど追い込まれてはいない。外圧を選択すれば、今度は既得権益が新左派を煽動して抵抗するだろう。

 「共産党の一党独裁」と表現される中国であるが、経済も外交も、たとえ不人気でも正しい政策を断行する余地は狭まっているのではないか。統治の正統性を選挙による信任に求めることができないせいで、「一党独裁」は、民主的決定の難しさを避けるメリットよりも、国民への迎合を余儀なくされるデメリットを感じさせる場面が増えている。これからの中国の大進路を決める主役は、共産党よりも漠とした「民意」なのかもしれない。

 TPP交渉参加を決めた日本の自民党政権が農業の反対を説得してTPPに加盟できるかが、なお疑問であるように、中国がTPP交渉に参加できるかどうかにも、この点に重大な疑問がある。APECワイドのFTAが成立する日はまだまだ先かも知れない。

      ◇

 つがみ・としや 1957年生まれ。80年旧通商産業省入省、96年在中国日本大使館経済部参事官 経済産業研究所上席研究員などをへて退職。2003年、「中国台頭」でサントリー学芸賞を受賞。現在、津上工作室代表