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80〜90年代のベトナム 電気に頼らぬ「美しい昔」

吉井 美知子(よしい・みちこ)/三重大学教授(ベトナム市民社会研究)

2013年8月31日

 先月、参院選挙の喧騒(けんそう)の中、電気や経済ってそんなに大事なのかな、と思いつつベトナムの生活を思い出した。

AJWフォーラム英語版論文

 1980年代後半、市場経済化を進めるドイモイ(刷新)のかけ声がかかったばかりの頃だった。国民的音楽家、チン・コン・ソン氏のホーチミン市の家に1〜2カ月の滞在を繰り返し、パリ大学ベトナム語学科の修士論文の資料を集めた。未発表の楽譜や日本で出たレコード、サイゴン大学での反戦コンサートのテープなど、貴重な資料を発掘させてもらった。

 当時、電気は「たまにしかつかない」存在だった。夜明けと共に起き、涼しいうちに働く。食材は早朝にその日の分を買う。移動は自転車。ハンモックに寝そべり、揺らして風をつくり午睡を取る。夕べは薄明かりのもと芸術家仲間とギターやピアノを弾き、歌う。冷蔵庫は使わず、テレビは見ない。洗濯は手洗い、調理は炭火、水を浴びる。電気は明かりのためだけだ。

 90年代に入り大学院を終えた私は日本企業の駐在員として同市に住み、結婚、子育てをした。町はバイクがあふれ、電気は「いつもつくとは限らない」存在になった。乾期の終わりに発電所の水源が枯渇した。計画停電どころか、突然消え、5分で回復することもあれば、3日続くこともあった。

 部屋にはろうそくを常備した。エアコンや扇風機も止まるので、普段から窓を開け放し、蚊帳を釣る。夕べのだんらんや宿題をやる時に停電したら、あきらめて床に入る。子どもに日本の昔話をして聞かせるのもよし、幼稚園の様子を聴き取るのもよし。宿題は翌朝に回す。電気が「いつもつくとは限らない」ことを前提に態勢を整えた。

 2008年から日本に住むようになった。電気がないとガス機器も点火しないし電話も通じない。そこへ起こった原発事故と節電要請。この原稿も明かりを消し、エアコンを使わず、ブラインドを下ろした暗い研究室で書いている。暑いが、ベトナムでの経験があるから、あまり苦にはならない。

 日本はベトナムへ原発輸出を進めている。電気に頼る生活様式も輸出することにならないか。せっかく電気に頼らず生活する術(すべ)を持つ人たちなのに。

 2001年に他界したソン氏の代表作「ジエムスア(美しい昔)」は60年代初めの恋愛の歌だ。やがて「ベトナム人同士、戦うのをやめよう」と反戦歌を作り、人類愛を歌った。ヒロシマの歌もある。15万人が避難するフクシマを見たら、どんな歌を作るのだろうか。真夏の夜、そんなことを思った。

      ◇

 よしい・みちこ 専門はベトナム市民社会研究。京都大学仏文科卒。パリ大学でベトナム語を学ぶ。東京大大学院で国際協力学博士号取得。08年帰国し、三重大国際交流センター教授。ホーチミン市では、ストリートチルドレンの施設運営にあたる。著書に『立ち上がるベトナムの市民とNGO』(明石書店)。