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東アジア百年 平壌宣言「後」の中朝と日本

丸川 哲史(まるかわ・てつし) 明治大学准教授(東アジア文化論)

2010年12月22日

 今年10月10日、平壌で行われた朝鮮労働党創建65周年の式典にかかわるマスメディアの引用映像において、中国共産党の中央政治局常務委員・周永康氏が列席している様子が何回も映し出されていた。

 中国の要人が立会人として列席していたことで、さながら周辺王朝の代替わりを承認する「朝貢冊封システム」を彷彿させるものとなった。冊封(さくほう)とは王朝同士の上下関係を親と子になぞらえるものである。ウィキリークスにより流出した中国要人からの「(北朝鮮は)駄々っ子」という表現も、このシステムの再来の意味を補っている。

 しかしもちろん、過去の遺制がそのまま復活したとは言えない。中朝とも近代世界のルールを受け入れ、独立国家として振る舞うべく要請されるし、露骨な上下関係も嫌うはずだ。さらに、もう一つ興味深いのは、朝貢冊封の「朝貢」の部分は、今日では「援助」としてなぞらえられるということだ。昨今、北朝鮮は経済破綻を補う「援助」の大きな部分を中国に頼ろうとしている。

 翻って、日本の視点から思い起こされるのは、02年の日朝平壌宣言である。この内容に「双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援などの経済協力を実施し……」とある。いずれにせよ、「援助」とセットになった国交関係の樹立と安全保障を目指した外交文書であった。

 しかし現在、日朝平壌宣言はたなざらしになっている。この日朝平壌宣言と、先日の代替わりにかかわる中朝のパフォーマンス、さらに菅直人首相によって自衛隊を朝鮮半島に派遣する案が「検討」された事跡をつなげて考えてみたい。つまり、日清戦争前と似た状況として、日本と中国(清朝)が朝鮮半島を間に挟んでその影響力を競い合っていた構図である。

 そしてさらにもう一つ、冷戦のサイクルが重ね書きされる。1965年の日韓基本条約により、同様にして「援助」とセットになった国交樹立が取り決められており、そこに日朝平壌宣言との類似点を確認することができる。37年のタイムラグを持つこの二つの外交文書の違いとして、過去の植民地支配に関して「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」という文言が日朝平壌宣言にある一方、日韓基本条約にはそれに類するものがない。日朝平壌宣言には1910年の韓国併合からの植民地化の歴史を断ち切るモメントが含まれているのだ。

 ただいずれにせよ、金正日氏が「拉致」の事実を認め、日本国内世論の怒りの突出などにより日朝平壌宣言は宙づりになった。しかし、破棄はされていないのだ。

 以上述べたように、東アジアは複数の歴史的スパンの交点として現在があるわけだが、私たちは(忘れがちではあるが)、日朝平壌宣言の「後」という時間の中にあることも意識したい。