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地域社会の生存戦略(3) 定着した文化島

金 星光(ジン・シンガン)/延辺日報記者(現経済部長)、前AAN客員研究員(中国)

2004年9月20日

 2月21日の朝9時ごろ岡山県宇野港から出港して、瀬戸内海を走り、着いたのは直島(なおしま)であった。アメリカの旅行雑誌コンデ・ナスト・トラベルラーが「生きているうちに行ってみたい世界7大旅行地の一つ」として紹介した島だという。

 香川県高松市から北へ約13キロメートル、岡山県玉野市から南へ約2キロメートル。周りの諸島を合わせて直島諸島と呼ばれ、行政所属から見ると香川県直島町になっている。直島本島の面積は8.13平方キロメートル、人口は約3600人。島内には日本戦国時代の海城村を原型とした本村があり、本島北部は工業地帯、中部は文京地域、南部は瀬戸内海国立公園に含まれた自然景観である。主要産業は三菱マテリアル関連の製造業とワカメなどの養殖・漁業であった。

 80年代末、岡山県を代表する株式会社ベネッセコーポレションが、企業の資金支援活動の一環として文化産業開発に乗り出した。1985年、瀬戸内海に世界の子供たちが集まって楽しめる場所を作りたかった前身福武書店の創業社長福武哲彦氏と、直島南部を優雅な教育文化地域に開発する夢を持っていた当時の直島町町長三宅親連氏が会談し、直島を開発することを約束した。1989年、直島国際宿営地がオープンした。モンゴル遊牧民の住居、モンゴル包(パオ)を拠点に多様な体験活動を提供、自然との一体感を与えてくれるパオ生活は忘れられない楽しい思い出になったそうだ。その後、「ベネッセハウス」と名付けられた美術館が「自然と建築と芸術の共生」を唱え、有名になった。ベネッセコーポレションが開発、運営している直島南部の「直島文化村」(総面積165ヘクタール)である。

 広報兼企画担当の江原久美子さんが私たちをベネッセハウスへ案内してくれた。日本の有名な建築設計者安藤忠雄氏の設計によって建築されたハウスには、自然と融合した宿泊施設と当代の芸術博物館複合施設もあった。印象派クロード・モネのシリーズ作品「眠る蓮」、現代美術大家のウオルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの作品をはじめ、収蔵されている作品は合計198点。海に浮かび流れる木などを拾って作った丸い園、コンクリト壁隅に木を彫刻して作った実物のような「雑草」など作品は観覧者に大自然の掲示し、人間の精神世界の新しい可能性を自分なりに感じられるメッセージを伝えていた。

 ベネッセハウスの次に案内してもらったのは、本村地域を拠点として行われている「直島・家プロジェクト」見学であった。本村で一番大きい家屋の一つである200年前の家を、外観は昔のままで、家内は伝統と現代を造化した「角屋(かどや)」。長い間人々の精神世界の拠り所になっていた南寺の地に古風と現代科学技術を合わせて寺内の神秘感をより濃くした芸術的新築「南寺」。本村地域の200年前の小さい家屋の外壁を含め、天井や柱などを元構造のままながらも伝統的技術を活かして作品化した「ぎんざ」。江戸時代から庶民たちがずっと参拝してきた護王神社を改築し、特に建物下に地下石窟を設計、石窟から通る階段をガラスにし地下と地上を一つの世界にした「護王神社」――「直島・家プロジェクト」は、本村に残った昔の家を保持しながら家屋空間をそのまま芸術化・作品化したプロジェクトであり、このプロジェクトを通して日本の多様な建物・生活・伝統・美意識を再現していた。

 ベネッセ代表取締役会長兼CEO福武總一郎氏の話によると、ベネッセ企業が直島でいろいろな活動拠点を建てて活動を全開して以来、国内外の媒体の関心の的になり、イメージも急上昇した。「トラベラー」のような旅行専門誌以外にも内外のメディアは直島文化村の建設に関心を寄せた。2002年4月から2003年3月までの間に、メディアに載った関連記事だけでも約200件。2002年にベネッセハウス及び直島文化村を訪問した体験者は3万9913人に達した。

 要するに、自然と建築と芸術を共生させた文化産業が直島を観光の名所として発展させているのである。