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台湾の客家人の苦難の半世紀刻む

『寒夜』 李喬著 岡崎郁子・三木直大訳、国書刊行会・3675円
評者・最相葉月(ノンフィクションライター)

2006年2月

 台湾総督府に勤めていた祖父から日本の統治のよいところは教えられても、台湾人への思いを聞くことはなかった。近代化の側面から日本を評価する親日家がいる一方、抗日運動に生涯を捧(ささ)げた人がいるのはなぜか。日本軍の兵士として戦った人々の心の内はどうだったか。出生の根っこが台湾とつながっているというのに、私の認識には大きな空洞がある。

 だからこの小説は戸惑いと感動が錯綜(さくそう)した状態で読了した。支配する側にいた民族が支配される側にいた民族をたやすくわかっていいはずがない。中空に投げ出され、着地場所を探しあぐねている。

 全島を大水害が襲った一八九〇年、苗栗(ミアオリー)県大湖(ターフー)の東に位置する山、蕃仔林(ファンツリン)を開墾の地に選んだ客家(ハッカ)人一家の苦難の半世紀である。十八世紀初頭、広東から移り住んだ客家籍漢人の末裔(まつえい)だった。

 第一部「寒夜」は、日本兵の上陸で男たちが義勇兵として立ち上がる姿が描かれる。台湾総督府は土地の権利証を持たぬ者に盗賊の罪を科した。農民を土匪(どひ)とみなす政策が一家を追いつめ、多くの血が流れる。主人公は日本兵に母親を殺された阿漢(アーハン)の妻、灯妹(トンメイ)。捨て子だった過去をもつ灯妹は懸命に働き一家を支える。

 時が変わり、二等兵としてルソン島に駆り出された阿漢と灯妹の六男、明基(ミンチー)の悲愴(ひそう)な敗走が第二部「孤灯」の軸である。日本人を四本足、日本名に改姓名した台湾人を三本足と呼んで蔑(さげす)む明基も、日本兵の良心にふれる瞬間がある。個々の友誼(ゆうぎ)が民族の隔たりを消すことはないが、故郷を恋う心に違いはない。生命の尊さを死の間際になってしか確認できない男たちの無謀を知る灯妹は、憤怒を鎮め、大地に吸い込まれるように生を終える。

 「運命というものを、苦しみというものをわかったとき、おまえはたぶん人生に対してそんなに不満をいだかなくなるよ、でもそんなこと永遠にわからなくてもいいんだよ」

 著者は、灯妹の言葉にすべての死者への鎮魂の思いを託したのではないか。

 着地などしなくていいのだ。占領や戦争が人の心に何を刻むのか。それをただまっすぐに感じとればいいのだと思う。